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2006.10.7(土) 17:00〜19:00 佐久間不動産さんにて

佐久間不動産:佐久間 栄さん、佐久間 照子さん、いどばた稲毛♪:渡部代表


◆はじめに◆

今年の1月下旬、念願の目標「20代での起業」を実行に移した。契約更新を2週間後に控えた新宿のマンションを、 急きょ引き払い、地元稲毛で起業すべく、新居を探した。


サクマ不動産さんを訪ねると、佐久間さんの親身な対応と楽しいお話に、気持ちよく新居を決め、 それ以来、私は佐久間さんご夫婦のファンになりました。まだお会いして1年経っていないのが、不思議なくらい。 いつも楽しく、お話させていただいています。


今回は、今から約80年前の、車もなかった時代のお話。昔を知ることは、今を知ることでもあります。 当たり前の今が、かけがえのない今に。小さなお子さんから大人まで、家族団らんや友達同士で、話題にしてくれたら嬉しいです。 それではスタート♪


◆1.関東大震災、車も無い時代◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です
  (↑ 左:佐久間 栄さん、右:いどばた稲毛♪渡部)


渡部:

関東大震災の時、佐久間さんは生まれていましたっけ?

佐久間さん(旦那様):

そうそう、3歳の時だよ。階段の下に隠れて、地震が弱まった時に、広場にダーって逃げたんだ。階段は柱が4本あるから、階段の下が安全だと教わったんだ。

渡部:

鮮明な記憶ですね。3歳でも衝撃的なことだから、はっきり覚えているのでしょうね。

佐久間さん(旦那様):

はっきり覚えてるね。あの時は家の屋根も皆瓦だったから、屋根の斜面を瓦がサーって流れ落ちてくる。それと同時に、地面に割れた瓦が、屋根に向かって、サーっと積みあがっていく。これはすごいよ。

渡部:

佐久間さんが子供の頃は、今、当たり前にある物がほとんどない時代ですよね?便利な家電製品も、当然スーパーやコンビニも。どんな生活だったんでしょうか?

佐久間さん(奥様):

そうね、今あるものは昔はほとんどなかったですね。 昔はよく、納豆を売りに来たよねえ。見たことありません?

渡部:

僕が小さい頃は、石焼き芋の車くらいでした。声も既に録音テープでした。

佐久間さん(旦那様):

納豆はね、お茶碗持って行って、ごはんにかけてもらうんだよ。お酒もコップ持っていくと、おしゃくで入れてくれる。豆腐も売りに来たよ。あの頃は車なんてなかったからね。両側に入れ物がついたやつを肩にかついで、皆歩きだよ。

渡部:

そうか〜。車がないというだけで、想像するのが難しいですね。大変だったでしょうね。あ、車がないってことは、救急車は?自分で病院に行けない時はどうするんですか?

佐久間さん(旦那様):

救急車なんて、もちろんないよ(笑)。何とか病院にたどり着くしかない。皆でかついだりしてね。子供が生まれる時だって、近所でリヤカー借りて、そこに布団しいて、その上に寝かせて、お産婆さんのところまで運んだんだ。

渡部:

大変だ。想像しただけでも、昔の人はすごいなあ。僕なんて弱いなあ。

佐久間さん(奥様):

あの頃は電気も無かったから、街頭だってガス灯でした。戦争の頃は、夜は明かりが外に漏れないように、幕を張るから家の中は真っ暗。勉強もできないよ。

渡部:

そうか、電気もなかったのか。真っ暗じゃ、何もできないですよね。

佐久間さん(旦那様):

街頭はガスだから、1つ1つ手で火をつけていって、消す時も1つ1つ消していかなけりゃあならない。今みたいに、勝手に点いて消えてくれないからさ。

渡部:

うわ〜。今がどんなに便利か、今の便利さがなかったら、どういうことになるのか、初めて実感しました。不便でも、助け合いの精神で生きていくこと、尊いですね。

◆2.レコードもない。遊び、服装は◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です
  (↑ 奥様照子さんのお話を、いつもやさしく聞いている栄さん)


佐久間さん(奥様):

紙芝居もよく来たよねえ?見たことある?

渡部:

幼稚園や小学校で見たことはあるけど、家の近所で見たことはないですね。

佐久間さん(奥様):

「ゴールデンバット」とかね。大人気だったのよ。正義の味方のヒーローがいて、覆面をかぶってて。

佐久間さん(旦那様):

俺なんかガキ大将だったから、よく紙芝居のおじさんから、太鼓を借りてさ。ドンドンって叩きながら町を歩いていると、皆が後をついて来て、とても喜ばれたよ。広場に着くと、水飴とか駄菓子があって、皆それを食べながら紙芝居を見たんだ。

渡部:

お菓子食べながらだったんですね!それは楽しそう。いいな〜。

佐久間さん(旦那様):

音楽だって、そう。あの頃はレコードだって無いんだぞ。ヴァイオリン持って、歌を歌う人が来た。弾きながら歌ってさ。一曲いくらとかで。

渡部:

レコードも無いってことは、そっか!歌はその場で覚えるんですね?

佐久間さん(奥様):

そうそう。歌詞を書いた紙だけは、もらえてね。

佐久間さん(旦那様):

その場で一緒に歌って、覚えるんだ。歌詞はガリ版で印刷したやつね。

渡部:

今と違って、色んなイベントが身近にあったんですね。そこには必ず人と人とのふれあいがあって。いいなあ。

佐久間さん(奥様):

歌舞伎も楽しかった。あの頃は貧しかったけど、皆、一張羅を着て歌舞伎を見に行くの。銀座にね。歌舞伎も良かったけど、皆の服装も綺麗だった。

渡部:

一張羅ってなんでしょうか?

佐久間さん(奥様):

自分が持っている中で、一番良い服のこと。皆素敵だったわ。今みたいに、何か食べながら歩く人もいない。喫茶店に入って食べる。モラルがあったんだね。

渡部:

品があるのでしょうね。僕も身に付けたいです。とても惹かれます。

◆3.毎日の暗いニュース。昔はなかった?◆

渡部:

今日は朝日新聞に、小学生の遺書が掲載されていましたが、悲しいことです。

佐久間さん(奥様):

ほんとに気の毒で気の毒で。私も読んでいて、涙が出てきちゃった。昔は、殺人も、自殺も、滅多に無かった。いじめは昔もあったけど、死に至るものは、ほんとになかったと思いますね。上履きの手提げを男の子に取られて、「返してよ」って言ったら、ぽーんと投げられたとかね、その程度。どうして今の親は、自分の子に気がついてあげられないんだろう。どうして今の子は陰険ないじめをするんだろう。悲しいです。

渡部:

昔のいじめは、後を引かないものだったんですね。人間、仲間はずれになって、孤立してしまったら、精神的に耐えられる訳がない、本当に辛いと思います。お金や物を盗られたり、他校の生徒とけんかになったり、そんなことはありましたか?

佐久間さん(旦那様):

悪(わる)はいたけど、そういう悪はいなかったね。正義感のある悪だよ。お金を取るなんていうのもない。ただ友達がやられた時は、助けに行ったり、殴り返してやったりはしたけどね。ただ大勢ではいかないよ。俺一人で、だよ。

佐久間さん(奥様):

私たちの時代は、戦争があったし、「その日、食べるものをどうするか」、必死だった時代。「自殺なんて親に申し訳ない」という気持ちも強かったし。それに、食べること、戦争からは、嫌でも逃げ出せない。だから死ぬ気で苦境を乗り越える訓練が、できていたのかもしれないね。孫や子供にも、「そんなことで落ち込んでどうするの?」って、私が激励してるのよ。

渡部:

いどばた稲毛♪でもよく話題に出ますが、定職に就けない若者たち。佐久間さんから見て、どう映りますか?

佐久間さん(奥様):

「本当に好きな仕事が見つかってから、職業を選んで働く」ことができる人は稀だと思う。最初は好きではなくても、「死ぬ気で」やっていくうちに、自分に合うとか、もっとこういうのがやりたいとわかってくるものだし、死ぬ気で頑張るからこそ、成功するはず。今は豊か過ぎるからなのかもしれないけど、「まずやってみることで、だんだん良くなっていく」ことを、わかって欲しいなと思います。

渡部:

やっていくうちに、やりたいことも変わりますよね。でもそれは、やってみたからこそわかって、発想できたこと。それに後から振り返って、「手段が変わっただけで、実現したいことはあの時と一緒なんだな」と、自分を改めて知ることも、ありますね。

佐久間さん(奥様):

何のとりえが無くたって、普通の平凡な人生の中で、頑張ればいい。元気があるというだけで、その人の特徴になるのだから。元気よく、頑張りましょう!

◆4.名前の前に身分が付いた時代◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です
  (↑ サクマ不動産さんは、スリーエフ脇の道を入ったところ。もう40年!)


佐久間さん(奥様):

昔は戸籍にも、「平民だれだれ」と、名前の前に身分が付いていたよ。

佐久間さん(旦那様):

知り合いに薬剤師さんがいるけどね、免許にまで「士族だれだれ」と身分が書いてあったんだ。今はもう書いてないけどね。

渡部:

士農工商の身分ですね。

佐久間さん(奥様):

そうそう、士が一番偉くてね。

◆5.青春時代◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です
  (↑ 昔ながらの温かい店内。落ち着いて安心できる、良さがあります。)


渡部:

昔は、小学校、中学校、高校、大学という形態ではなかったんですよね?

佐久間さん(奥様):

昔は小学校が6年あって、その後は今の中学と高校が一緒になったような、女学校がありました。その後が、専門学校・短大・大学。

渡部:

女学校ということは、男女共学というものが、なかったのですか?

佐久間さん(奥様):

基本的にはなかったのよ。

渡部:

へえ〜。それは知らなかったです。

佐久間さん(奥様):

男はお国のために、兵隊や軍人になる教育を受けて、女は内助の功というか、男性を支えたり、内地を守るような教育を受けて、役割がはっきりと分かれていたから。当時は女子も、「なぎなた」か「弓」を選択する授業があって、天皇のために死ぬことに何の疑いもなかった時代。だからこそ、「教育って怖いな」と、今は思います。

渡部:

女性もお国のために戦うなんて。たしかに、教育にはそういう怖さもありますね。そうすると、男女でお話する機会もほとんどなかったのでは?

佐久間さん(奥様):

全くなかったですね。それに、異性を余り意識させないというか、戦争に興味を湧かせるような教育を、小さいうちから受けてきたからね。あの頃は、指輪でも何でも、言われれば国に差し出して、修学旅行もなかったし、夫は徴兵でとられて5年間も会えなかったし、服装だってもんぺだった。青春時代なんてなかったね。

渡部:

それでは、そういう時代を過ごされた佐久間さんから見たら、今の時代は「非常識」だらけじゃないですか?(笑)

佐久間さん(奥様):

ふふふ。そうね、色んなことでびっくりすることはありますね。

◆6.学校の先生が世の中を支えた?◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です
  (↑ お仕事もひと段落。映画のように迫力満点・明快なお話は、憧れます)


渡部:

今は社会問題も複雑化しているような気がしますが、「昔の日本の良さを支えていたもの」を1つ挙げるとしたら、何がありますか?

佐久間さん(奥様):

あの頃は、学校の先生が本当に良い人ばかりだったね。生徒も親も、先生を尊敬していた。授業中、女の子同士でおしゃべりしてたりすると、先生がキッて振り向いて、チョークが飛んできたり、廊下に立たされたりしたことはあったけど。

渡部:

怒られても、「自分が悪かった」って、納得できるんですね。

佐久間さん(奥様):

納得というか、反省したの。だから恨むこともなかったし、親が学校に怒鳴り込むこともなかった。親も、「うちの子に限ってそんなことはありません」なんて言わない。「悪いことしたらちゃんと怒ってください」と言うのが、当たり前だった。

渡部:

学校での教育は先生に任せ、先生もそれに心で応える。すごい信頼関係ですね。

佐久間さん(奥様):

そう。「大切なお子さんを任せていただいたのだから、一生懸命教えよう」という熱意が、子供にも親にも伝わってきてね。受験の時も、塾なんてなかったけど、生徒の家の部屋を借りて、先生がずっと勉強を教えてくれた。

渡部:

学校で授業をした後に、子供のために、ですよね?

佐久間さん(奥様):

そうそう。いくらかお礼をした親もいるとは思うけど、基本的にはボランティアで。「今日は何番から何番までの子」と皆を交代で教えてくれて、学力に関係なく、一生懸命教えてくれて、生徒1人1人のことを、本当によく気遣ってくれた。

佐久間さん(旦那様):

卒業してから、先生に偶然会ったときも、遠くから、「おい、佐久間じゃねえか?」って、先生が飛んできてくれたんだよ。「ちゃんと覚えててくれたんだな」って、感動したよ。どの先生も怖かったけどな、ほんとに皆良い先生だった。

渡部:

威厳を保ちつつ、優しいんですね。そんな素敵な先生方がたくさん身近にいたら、いじめや事件も自然と減るのでしょうね。今は先生方も苦労が尽きないそうですが。

佐久間さん(奥様):

先生を職業として捉えているのかもしれない。先生が、というよりも、世の中が。昔の先生は、プラスアルファがあった。「わかんないことがあったら、教えてやるぞ」という、「ほんとに先生らしい先生」が多かった。

佐久間さん(旦那様):

昔は、生徒が良い学校に進んだら、先生の手柄になるなんてことも、なかったよ。できの悪い生徒ほど、一生懸命教えたね。

渡部:

職業じゃないってことは、もう先生自身の気持ち、信念なんでしょうね。心から生徒のためになりたいっていう強い気持ち。「ほんとの先生」ですね。

佐久間さん(奥様):

「自分は指導者なんだから、少しでも生徒のプラスになるように」という自覚が、ものすごく強いんでしょうね。「この子には、こういう風にしてあげよう」とか、そういう気持ちが年中、いつも心にあって。もうこれは愛情なんだろうね。

渡部:

これなら、生徒も慕いますよね。

佐久間さん(奥様):

だからずっとクラス会、あったもの。少しぐらい遠くても、皆来たもんね。先生も遠いのに来てくれて、全員にお土産を持ってきてくれたりして。

◆7.太平洋戦争 勃発◆

渡部:

戦争の時の状況を教えてください。街の様子とか。

佐久間さん(奥様):

兵隊さんを取り締まる憲兵さんが、馬で街の中を巡回していました。

渡部:

へえ〜。馬なんですか?すごいなあ。

佐久間さん(旦那様):

小学校3年生くらいの時だったな。満州事変は。

渡部:

そういう戦争中でも、小学校は普通に通えたんですか?

佐久間さん(奥様):

国は戦争してたけど、学校は普通に通えたよ。

渡部:

じゃあその頃は、どこの家も、お父さんは戦争に行っちゃって、いないんですか?

佐久間さん(奥様):

兵隊行っちゃってる人もいたし、残っている人もいたね。

佐久間さん(旦那様):

私なんかは、昭和16年から終戦まで、ずっと戦争に行っていたけど。

佐久間さん(奥様):

上海に行っていたでしょ。お父さんは職業軍人ではないけど、招集で。

渡部:

あ〜、兵隊さんと職業軍人さんと、違うんですね。

佐久間さん(旦那様):

職業軍人というのは、士官学校を出て、将校になった人で、我々兵隊なんかは、赤紙1つで持っていかれちゃうんだから。

渡部:

ああ、普段は別の職業があるけど、赤紙で召集された人が、兵隊さんですね。

◆8.赤紙・・・そして戦地へ◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です 佐久間不動産さん 対談特集の写真です
  (↑ この旗もほんとに貴重。戦地へ持っていかなかった旗だけが、現存。)


佐久間さん(旦那様):

くすんだ赤い色をしていてね。赤紙と言うの。[ピンクのクリアーファイルを指して]これよりもっと、汚い色ね。

渡部:

赤紙には何か字も書いてあるんですか?見たことないものですから。

佐久間さん(旦那様):

書いてあるよ。「どこどこの隊に入れ」という、命令が書いてあるんだ。

渡部:

赤紙が届いてから入隊までには、どんなことをするのですか?

佐久間さん(旦那様):

お赤飯を炊いて、お祝いしてもらうんだ。そして街頭でね、「お願いしまーす」と、1千人の女の人にお願いして、腹巻に一針ずつ縫ってもらうんだ。「敵の弾に当らないように」と祈りを込めてもらってね。激励の旗ももらったな。そして、家族や近所の人と集合写真を撮って、送り出してもらうんだ。

渡部:

そうか・・・。お祝い事なんですね。佐久間さんも、ご家族も、笑顔で別れなきゃいけないのか。悲しいですね。

佐久間さん(旦那様):

「天皇陛下に召集していただいた」のだから、お祝い事なんだよ。それで、遠くの県に入隊したのに、そこには1日しか、いなかった。

渡部:

それで次はどこまで連れて行かれたんですか?

佐久間さん(旦那様):

万里の長城に乗って、あれは怖かったねえ。あそこ通過する時はもう、ほんとに怖かった。出たらもう、すぐやられちゃうからね。

佐久間さん(奥様):

でさ、夏服で行ったんだって、ね?

渡部:

え。寒くないんですか?

佐久間さん(奥様):

ほら、南方に行くと見せかけて。

渡部:

ああ〜。欺くために、ですね。

佐久間さん(旦那様):

そうそう、いや〜内地にいるときは給与がいいんだよ。

渡部:

給料ですか?

佐久間さん(旦那様):

いやいや、給与って言うのはねえ、食べ物。弁当がねえ、3重の弁当なんだよ。

渡部:

へえ〜。3重は豪華ですね。

佐久間さん(旦那様):

それで内地を渡って、今度釜山に行って、釜山で待っているのが、貨車だよ。

佐久間さん(奥様):

貨車って馬を運んだりする汽車で、だから人間が乗るものではないから、当然冷暖房の設備も無いのよ。

佐久間さん(旦那様):

その貨車に突っ込まれてさあ、それからの給与は、ひどかったよ。

渡部:

おなかいっぱい食べられないんですか?

佐久間さん(旦那様):

もうねえ、ししゃもを煮たようなもんに、おじやみたいなのがあるだけ。それに客車じゃないから、寒くてね、駅に何々駅っていう標識があるでしょう?あれを引っこ抜いて来て、燃やすんだ。南京に着いた頃には、もう皆すすで顔が真っ黒だよ。

渡部:

へえ〜。貨車の中で燃やすんですね。でも凍え死ぬわけには、いかないですもんね。

◆9.外地での厳しい軍隊生活◆

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  (↑ 戦争も終盤、もう物資がない時の、最後の軍服(夏服)。木のボタン。
  両脇は風通しで開いている。写真(右)の左脇のボタンは、短剣を通す部分。
  こんなに保存状態が良いのは、帰国後、1回も着なかったから、という。)


佐久間さん(旦那様):

そうそう、それでねえ、今度は上海に行くというから、「やったー!海を渡って、日本に帰れるんだ」と思ったよ。そしたら、とんでもない。古い兵隊さんが迎えてくれてね、それからは毎日、びんた、びんた、だよ。

佐久間さん(奥様):

1人が何かすると、連帯責任なのよ。全員が悪いってことになるから。

渡部:

ああ〜。

佐久間さん(旦那様):

[座っているところから、ドアまで指差して]ここからねえ、ドアまで、ドーンって、ふっとんで行っちゃうんだから。

渡部:

ええ〜。

佐久間さん(旦那様):

そうだよ。日本の軍隊はすごかったんだから。

渡部:

やっぱり悪いことをしたから、殴られるんですか?理由があって?

佐久間さん(旦那様):

や〜、悪いことなんだけど、くだらないこと、小さなことだよ。でもね、軍人精神を植えつけるには必要なんだよ。皆、言いたいこと言い出すからね。

渡部:

なるほど。

佐久間さん(奥様):

靴の裏に針が付いてるでしょ?あれに土が付いていただけで、もう大変なんだって。

佐久間さん(旦那様):

従軍した後ね、今度は点呼まで、そういう手入れだよ。一生懸命やったよ。でもきちんと手入れしておかないと、戦った時に、自分がやられちゃうからね。

佐久間さん(奥様):

入浴だって、今みたいに、のこのこ湯船に浸かってられないのよ。

佐久間さん(旦那様):

色々な手入れで時間がない。でも入らないとまた怒られるからさ。

渡部:

へえ、入らなくても怒られるんですか。

佐久間さん(旦那様):

だから洗面所で手ぬぐい濡らして、顔だけ拭いて、「入りました!」って。そうすると手ぬぐいが濡れてるもんだから、「良し!」となるんだ(笑)。それが終ると今度は夜の教育。

渡部:

え?夜も、ですか。

佐久間さん(旦那様):

そうそう。その後にも、不寝番がある。寝ないで立ってりゃ良いんだけど、ちょうど中間ぐらいの番だと一番つらい。もう体が暖まっちゃってるからさ。

渡部:

あ、一応起してはもらえるんですか?

佐久間さん(奥様):

前の人がね、起してくれるんだよ。

渡部:

ああ、そうか。そうですよね。

◆10.自由時間なし 1度の失敗も許されず◆

渡部:

ところで、自由な時間はどれくらいあるんですか?

佐久間さん(旦那様):

ない。兵隊なんか、絶対にない。

佐久間さん(奥様):

だから夜寝るときだけ、少しだけ休まるんだって。

渡部:

今の人は真似できないですよね?驚いた。

佐久間さん(旦那様):

できないって言ったって、入っちゃったら皆やるよ。

渡部:

兵隊に行っちゃうと、家族と自由に手紙のやりとりもできないんですよね?

佐久間さん(旦那様):

ぜんぜん出来ない。検閲されるからね。

渡部:

ああ、中見られちゃうんですね。

佐久間さん(旦那様):

検閲されますよ。そりゃあ。別の機関にだけど。私の友達は、上海にいることがわかるような歌の歌詞を書いて、それだけで捕まっちゃった。

渡部:

それは罪になるんですよね?

佐久間さん(奥様):

「日本の陸軍のどの部隊が上海にいる」と、敵に知られちゃうからね。

渡部:

でも、敵に知られないようにするために、検閲でチェックしているのに、書いた時点でもう、罰せられちゃうんですか。厳しいですね。

佐久間さん(旦那様):

そうそうそう。もう昇級止まっちゃいますね。永久に。

渡部:

永久に・・・。1度の失敗も許されないんですね。

佐久間さん(旦那様):

その友達は、我々が昇級しても、ずっと星1つのまま。でも、そういうのが猛者なんだよ。我々と楽しそうに話してるのを他の人が見ると、「あいつ、何者なんだ?」ってなる。何かあったら、我々がバックについているようなもんだからさ。

渡部:

ああ〜。そういうことが起こるのか。

◆11.階級と年功 戦時と普段◆

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  (↑ 栄さんの字の美しさは、当時もピカイチ。箱には戦友名簿が入っている。)


佐久間さん(旦那様):

そいつの上官がさ、星1つしかないと思って、そいつと話してる時に、我々がさ、「こいつ、お前より先輩だ」と言うと、「失礼しました!」になるわけ(笑)。

渡部:

へえ、上官が「失礼しました」と言うんですか。

佐久間さん(旦那様):

そうそう、年功序列だからね。

渡部:

あはは。そうか、階級が一番低くても、無下に扱われないんですね。そういう所は温かいですね。

佐久間さん(旦那様):

もちろん正式な時は、階級で行くけどね。普段はね。

佐久間さん(奥様):

そうだね、そういう温かさもあったんだね。

佐久間さん(旦那様):

少年兵がいたんだけどね、18歳でもう結婚していると言うから、「ずいぶん早くから結婚して、早熟だな〜」と思っていたら、実は違うんだ。実家が農家でね、自分が兵隊に行くと、農業やる人がいなくなってしまうんだ。だから農業を続けるために、早めにお嫁さんをもらって、労働力になってもらうんだよ。

渡部:

そうか、もし結婚していなかったら、誰も農業をやる人がいない状況なんですね。

佐久間さん(奥様):

そうそうそう。残るのは老人ばっかりになっちゃうからね。

◆12.悪化してゆく戦況、終戦後の迷い◆

佐久間不動産さん 対談特集の写真です 佐久間不動産さん 対談特集の写真です


 ( ↑上は、戦友名簿。
    これも栄さんが書いたという。
    今では皆住所も変わっていて、
    連絡は取れない。


   ←左は戦友名簿のカバー。
    下に描かれた絵から、
    当時の服装もわかる。)    



佐久間さん(旦那様):

新しく入ってくる兵隊さんの格好がね。格好は兵隊さんなんだけど、兵器がひどかった。通称「ごぼう(野菜のごぼうのこと)剣」と言ってね、銃の先に付けて戦うこともできる短剣なんだけど、格好だけで全然切れない剣を持って来た。その鞘も、私の頃は金属だったのに、木の鞘なんだ。あんなの歩腹前進したら、すぐだめになっちゃうよ。

渡部:

削れてきちゃいますよね。

佐久間さん(奥様):

物資も無くなってきていたのでしょうね。

佐久間さん(旦那様):

飯盒も水筒も、ただの竹筒に変わっていた。軍服のボタンだって、金属から木に変わった。だからね、兵隊さんが新しく入ってくるたびに、「今度はどんな格好で来るかな」って気にしてたよ。

渡部:

あ、「どんどん悪くなっているんじゃないか」という心配で、ですね。

佐久間さん(旦那様):

そう。他にも、日本が不利だとわかってしまうようなことが、たくさんあった。兵隊検査で、甲種合格、乙種合格、丙種合格、と3段階あって、最初は身長もあって体格も良い甲種だけが兵隊に行った。乙種はその予備軍だった。丙種は身長が低くて小柄な人。私は丙種だったけど、「ついに丙種まで戦わなければならないほど、甲種・乙種が減ってきたのか」とね。だから「あ、こりゃあ負けるな」って、わかったよね。もちろん、心の中でね。

渡部:

そうか、それがわかってしまうのも、辛いですね。

佐久間さん(旦那様):

生き残ったって、負けたら捕虜になっちゃうからね。

渡部:

玉音放送の時、どんな心境でしたか?

佐久間さん(旦那様):

「天皇陛下に申し訳ない」と言って、その場で口に銃をくわえて、自殺した人もたくさんいたよ。千人の女子が、「敵の弾に当りませんように」と祈りを込めて、一針ずつ縫ってくれた腹巻や軍旗を、「敵に踏みにじられたくない」と、燃やしたりもした。 ただ正直な気持ち、「やっぱり家族の下に帰りたい」という気持ちもあったよ。ずっと天皇陛下は「現人神」だったし、声なんて聞いたこともなかったから、玉音放送で初めて声を聞いたときは、複雑な気持ちだったなあ。

渡部:

その時のショック、なんとなく想像できます。わかるような気がします。

佐久間さん(奥様):

お父さんは終戦を向こうで迎えて、「日本に帰っても、家族も死んじゃって、誰もいないかもしれない」と思って、帰らなかった人も多かったみたいよ。

佐久間さん(旦那様):

中国の捕虜になって、こき使われるんだよ。

渡部:

そういう人たちは、あえて、捕虜を選んだということなんですね。

佐久間さん(旦那様):

そうそう、帰るか、捕虜になるか。ただ当時捕虜の他に、兵隊のお迎えもあってね、それは勤めるんだけど、「何人兵隊を連れてきたか」によって、待遇が違うんだよ。私は、日本人学校を経営していた少年兵の父親に、「日本に帰った方がいいよ」と言われて、日本に帰ることにしたんだ。

渡部:

日本の本土がどれくらいやられているか、という情報はもう聞いていたんですか?

佐久間さん(旦那様):

そう、聞いていたから、もう家族は居ないんじゃないかと思ってね。 ただその父親は、やっぱり日本人学校やっていたから、これから中国で戦いが始まることや、「訓練された日本兵を雇っておいて、いずれ前線で使おう」という思惑もわかっていたんだろうね。

渡部:

日本に帰るか、帰らないか。家族が生きている可能性が少しでもあれば、僕なら帰るかな。全然状況を知らないのに、こんなこと言ってはいけないかもしれないけど。

佐久間さん(旦那様):

日本の兵隊は優秀で、少佐ぐらいの良い階級で迎えられたんだ。だから、「焼け野原で家族も居ない日本に帰るよりは、こちらで少しでも良い生活ができるなら」と、中国に残った人もいたんだよ。

渡部:

終戦になっても、辛い選択ですね。中国に残った人だって、日本に帰っていたら全く別の人生があったかもしれない。もしかしたら、家族が生きていてくれて。それを考えると、悲しいな。でも、佐久間さんは、ほんとに帰ってきて良かったですね。今もこうして奥さんと仲良く、一緒に元気に過ごせている。

佐久間さん(旦那様):

そうだねえ。

佐久間さん(奥様):

ほんと、そうだねえ。幸せだと思うね。

◆13.サクマ不動産◆

渡部:

さて、今はサクマ不動産さんですね!もう何年になりますか?

佐久間さん(旦那様):

[壁に飾ってある額を指して]「十二」と書いてあるだろう。最初は3年毎に更新だった。それが今は5年毎になって、だからどれくらいかな。

佐久間さん(奥様):

5年毎の更新は確か2回だったわね。

渡部:

じゃあもう40年になるんですね。

佐久間さん(旦那様):

40年もやっているのは、若木不動産さんとうちくらいのもんだよ。

渡部:

40年かあ。すごいですね。40年やってきた、このお仕事。やりがいや、やっていて感じていることを、教えてください。

佐久間さん(奥様):

そうね。夫婦だからこそ、あうんの呼吸で、自分達の儲けよりも、お客様に喜んでもらうことを生きがいに、やってきました。私たちも、お客さんから、「心の儲け」をもらっています。だから幸せです。不動産屋を通じて、若い人や、色んな人のお話を聞くことができて、今の時代の感覚や考え方を、勉強させてもらえる。それが、とても楽しいですね。

渡部:

お客さんに喜んでもらうことを生きがいに、一生懸命努力して、お客さんから「心の儲け」をいただいている・・・か。僕が初めて佐久間さんにお会いした時も、この言葉を教えてもらったなあ。とても良い言葉ですね。心に響きます。

佐久間さん(奥様):

うん。

渡部:

佐久間さんと、いつも色々なお話ができて、とても嬉しいです。僕が生まれていない頃のお話に、とても驚いたり、感動して帰ることも多くて、だからたくさんの人に伝えたいと思います。これからも、お邪魔させてくださいね。

佐久間さん(奥様):

いえいえ、また来てくださいね。

佐久間さん(旦那様):

それじゃあ、また!

渡部:

ありがとうございました。


佐久間不動産さん 対談特集の写真です