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2006年9月8日 13:00〜15:30 田沼隆志後援会事務所にて

田沼 隆志さん、横溝 徹さん、いどばた稲毛♪:渡部代表

田沼隆志さん 対談特集の写真です。


◆はじめに◆

これから県政に挑戦するという、田沼隆志さん、30歳。先日、偶然お会いしてびっくりしたのは、 田沼さんは、小中台中学出身で、私の2つ上の先輩。なんと実家も同じ「稲毛パークハウス」。 前職はライバル会社。同じように志を持って会社を辞め、稲毛で頑張ろうという、 田沼さんと、田沼さんのいとこで、田沼さんと一緒に活動されている、横溝徹さんとの対談です。


※ 読者の皆様へ

今回、きっと稲毛の皆さんに喜んでもらえるだろうという一心で、勇気を持って対談を実現しました。 なぜ勇気かといえば、いどばた稲毛♪は、政治の世界では中立だからです。 読者の皆さんにご理解いただければ、幸いでございます。
               2006年9月14日 いどばた稲毛♪ 代表 渡部 成夫


◆1.長"は嫌い、でも中心◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。
(左から、横溝 徹(よこみぞ とおる)さん、田沼 隆志(たぬま たかし)さん、渡部)


渡部:

田沼さんは、毎朝稲毛駅前などで、街頭演説やチラシ配りをされていますが、県政に挑戦することは、昔から夢だったのでしょうか?

田沼さん:

いいえ。子供のときから「将来総理大臣になりたい」とか、「生徒会長や学級委員長をやりたい」という人もいますが、僕は、"長"になることが、そもそも嫌いでした。というのは、今でも私はそうですが自己顕示欲がないし、皆を引っ張っていきたいという気持ちはなかったんです。中学校で学級委員長になった時も、すごく嫌で。好きじゃなかったんです。

渡部:

逆に、学級委員長をやってみて、やりがいを感じたり、楽しいなあと感じたことは?

田沼さん:

いや〜、全然ないです。う〜ん、なんで嫌だったんだろうな。目立ちたくもないし、皆と楽しくできれば、それで十分だと思っていたし。 ただ高校2年の時、千葉東高校の音楽部で部長になってしまって、その時、新入生がたくさん入ってきた。「どうやって皆で部活を盛り上げていくか」、「そのためには部長として何ができるか」を考えているうちに、組織の運営にはとても関心が出てきました。大学の立花ゼミでも、そういう気持ちで一生懸命やっているうちに、自然と皆の中心にいましたね。

渡部:

組織のあり方、皆が楽しくやりがいを感じるような、役割分担や環境を考えるのは、僕も大好きです。考えるの楽しいですよね。

田沼さん:

長には興味なかったけど、学生のころは自分に根拠のない自信はありましたね。就職の面接でも、全く動揺しなかったし、就職本も読まなかった。学生の頃って、中学も高校も大学も、何の実績もないし、何もしてないからこその自信があるんですよね。

渡部:

それ、すごくよくわかります。私も「怖いものなし」で、思いっきり好きなことをしてました。

田沼さん:

今から考えると、「ほんとあほだったな〜」って思うことも多いけど、そんな僕の学生時代はとてもよかったと思っています。そして、そんな僕と同じ様なバカ学生が、僕は大好きです。可能性を信じている人が好きなんでしょうね。学生の、若い、「自分にはできるはずだ」と信じている若々しさがね。僕は今でも、希望とか挑戦とか夢という言葉がすごく好きで。授業にも行ったり行かなかったり、真面目な学生じゃなかったけど、すごく自信はあった。

◆2.「二十歳のころ」出版◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。

渡部:

「二十歳のころ」は、どんな内容だったんですか?

田沼さん:

「二十歳のころ、自分は何をしていたか」を色々な人に聞いて調べて、それを書くという内容です。ゼミが「調べて書く」というタイトルのゼミで。そこで立花さんが、「何か調べて、本を出すぞ!」と言い出したんです。それで、二十歳の頃である自分達にできることは、「多くの人に二十歳の頃何をしていたか、それからどうしたかを、インタビューで聞くことではないか」、という話になり、出版までやりました。

渡部:

「二十歳のころ」の出版を通じて、新しく気付いたことはありますか?

田沼さん:

やっぱりね、社会の中で本当に実行したことがそれまでなかったから、すべてが新しい気付きの連続でした。「おもしろそうだ!」と最初は皆、盛り上がるわけですけど、まずアポ取りで住所を調べるのも大変だったし、偉い人に突然電話するわけで、しどろもどろだったり。録音中にテープが足りなくなったり、取材後にお礼を忘れたり、ミスがいっぱいでした。ただ、「失敗こそ、若いころにお金払ってでもしろ」と言うじゃないですか?そういう失敗を色々と経験させてもらえたし、とても良かったね。

渡部:

(本の表紙を見て)68人も出てくるんですね。あ、有名な人ばかりですね。 へ〜、大江健三郎さん、川上哲治さんとかも出てくるんだ。こういう人たちの、20歳の頃なんですね。これは僕もぜひ読みたいなあ。

田沼さん:

「二十歳の誕生日には、何をして過ごしましたか?」とか質問してね。とっても楽しかったです!

◆3.自己肯定 立派な理念は後◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。
(田沼さんは、稲毛で10年以上活動している『合唱団からたち』の団長)


渡部:

ところで、大学時代もまだ、政治への関心はなかったわけですよね?

田沼さん:

なかったですね。ほんとは芸大にも行きたかった。ピアノが弾けて、歌ももうちょっとうまかったら、たぶん歌のコースを進んだと思いますね。それくらい歌は好きです。

渡部:

今も合唱団を続けられていますしね。では逆に東大を選んだのは?

田沼さん:

実は、外交官になりたくて、東大に入ったんです。政治への関心はなかったけれど、国家とか、世のため、人のために、働きたいという思いはありました。ただこれは、理念に躍らされていたと思う。これはね、今、同じように考えている学生達にも言いたいんだけれど、自分の好きなものを追っかけることが、まず大事だよ。立派な理念に心を染められてしまうのは、もうちょっと後でいい。

渡部:

うん。進路も大事だけど、「本当に好きなこと」を見つけて、自分を大切にして欲しいですね。若いうちに思いっきり遊ぶことも、大事です。

田沼さん:

そうです。まず自分は何のご飯が好きで、誰が好きで、どんな演劇が好きか、個人としての実感をまず持つ。いきなり世界平和や国家と言うのは、間違っている気がして。だから僕も東大に入った数ヵ月後には、もう外交官のことはすっかり忘れて、将来のことなど全然考えていなかった(笑)。好きなもののために一生懸命生きて、人間としての器を大きくすることが、大事だと思います。

渡部:

自分を好きになれないと、色んなところでもったいないことや、悲しいことが出てくる。本当は自分のやりたいことがあるのに、自信がなくて人の意見に流されちゃうこともあるだろうし。

田沼さん:

「誇り」ということにもなるかもしれないけど、「自己肯定」だよね。自分が嫌いになっちゃうと暗くなっちゃうし、人も集まってこないし、物事をマイナスに考えると実際にそうなってしまうし。僕は、大学時代は好きなことを追っかけ続けたので、そういう意味で、「自信満々」ということなんです。平たく言うと、自分を好きになりました。ものすごく(笑)。

渡部:

なるほど〜。好きなことを一生懸命やっている人は、輝いていますよね!

田沼さん:

実感を大切に、自分の好きなものを追っかけていたんで、実感の無い政治には興味がなかったです。

渡部:

そうですよね、学生時代、政治を実感することは、僕も無かったです。

田沼さん:

そう。若者にも町でチラシを配ったりしているけれど、若者が受取らないのもわからなくはないんです。まず、自分の実感を大事にして、そのうちだんだん、自分が1人で生きてるんじゃないってことに、気付ければ良いんです。

渡部:

このこと、チラシにも書いてありましたね。

田沼さん:

そうそう。ずっと政治は僕には遠いものだったんだけど、組織の運営には興味があったから、音楽部の部長も、立花ゼミも、今の合唱団の団長もそうだけど。組織の中で、いかに人の心をまとめて、力関係をバランスさせて、秩序を保つこと。実は、これもよく考えると、政治なんです。選挙とかそういう形式的な政治ではなくて、現象としての政治ね。

渡部:

組織の運営を通して、その楽しさを実感して。きっと、そういった経験が、今回の県政へのチャレンジの下地になっているんでしょうね。

◆4.就職 外資コンサル◆

渡部:

アクセンチュアに、入られたんですよね。

田沼さん:

外交官も考えたし、国家のために働けることは立派だと思っています。僕は自衛隊の人も尊敬しているから、防衛庁にも興味があった。ただ当時は、とっても官僚の不祥事が多くて、ノーパンシャブシャブとか、天下りね。官僚には、素晴らしい人もたくさんいるけれど、組織として本質的な限界があると思って、ビジネスにしたんです。

渡部:

ビジネス、その中でも特に、コンサルティング会社を選んだ理由は?

田沼さん:

世界で日本が誇れるものは、アニメなどもありますけど、まずビジネスだと思います。その最先端で修行したいという想いがあって、経営コンサルティング会社にしたんです。

渡部:

業界上位の、色々な会社の経営に関わることができますしね。

田沼さん:

そうそう。高校で音楽部を選んだ時も、強い部活に行きたかったんです。毎日創意工夫をしながら、「勝ち上がって成長するダイナミズムを感じたい」と、思ったんです。千葉東高校の音楽部はとっても強くて、全国大会にも行けたし、良い先輩にも恵まれて、入ってとっても良かった。東高は、僕にとって故郷です。

渡部:

大きな経験が、大きな舞台でできるわけですね。

田沼さん:

最前線の一番厳しいところで頑張るという、自分の限界に挑戦することは、今でもしたいし、東大に入った本当の理由もこれかもしれない。就職も、日本が誇れるビジネスの最前線で活躍しているコンサルタントの存在を知って、アクセンチュアに入ったんです。

渡部:

コンサルティング会社という存在を知って、「ああ、ここがやっていることは自分の考えにぴったりだな」と感じて、入ったと。こういう順序ですね?

田沼さん:

そうです。

渡部:

それじゃあ、僕と同じですね。

田沼さん:

あはははは。そうなんですか。

渡部:

大学3年の2月にコンサルティング会社の存在を知って、「ああ、ここだ!」ってわかったんです。将来を決断できた。

田沼さん:

僕は、「スプリングジョブ」というアルバイトを学生時代に経験して、1つのアウトプットに向かって、皆でガリガリ取り組んでいくというのがおもしろかった。それで興味を持って、入ったんです。

渡部:

あ〜、スプリングジョブもその後知りましたが、僕の時はもう終ってた(笑)

田沼さん:

アウトプットを出すために、執念を燃やすというのは、立花ゼミや、立花さん自身もそうでしたし、コンサルティング会社でも同じだなと思いました。今でも僕は好きでやっています。

渡部:

こう、皆で1つのものに向かって頑張れるというのはとても楽しいし、質も高く、期限もタイト、という条件は、むしろ逆にやる気になりますね。そういう場に自分がいられることは幸せなことだし、とても良い環境ですよね。

田沼さん:

一生懸命頑張ることが一番大事で、一生懸命頑張っていれば、質は低くても良いんだと思います。頑張っていれば、人生それでいい。

渡部:

僕もそう思います。頑張ったけどできなかった人のフォローなら、皆が喜んでカバーしたいと思うし、取り返しの付かないケースの方が少ないと思う。思いっきり頑張ればいい。

田沼さん:

そうですよね。精一杯生きているかどうかが、その人の幸せを決めると思う。僕はすごく成長したし、コンサルティング会社に入って本当に良かったと思っている。

◆5.激務の7年間◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。

渡部:

会社員時代は、東京で1人暮らしだったんですか?

田沼さん:

そうですね、最初は稲毛から通っていたけど、東京から深夜にタクシーで帰るのも大変でしたし、夜中3時半に帰ってきて、また朝7時に家を出る、睡眠3,4時間の毎日で、生命の危険を感じたので、途中から港区で1人暮らしを始めました。入社2日目に朝6時まで働いたからね。

渡部:

それほどの激務だから、すぐ辞めちゃう人が、アクセンチュアには多いんですね。

田沼さん:

そうなんです(笑)

渡部:

私の場合は、夜は11時をだいたい過ぎましたね。そこから早稲田に帰って。やっぱり仕事中心の生活になってしまっていましたね。でも労働時間が長かったからか、6月にはもうだいぶ慣れたような気がしましたね。

田沼さん:

や〜、コンサルティング会社はちょっと働きすぎだよね。最近はだいぶまともになってきたみたいだけど。

渡部:

ほんと、働きすぎですよね。その生活が何年続いたんですか?

田沼さん:

その生活は7年間、つい最近まで続きましたね。でも土日は休みでしたし、土曜はなんとしても合唱団の練習に行きたかったし。「すいません、休みます」って上司に言って。

渡部:

そういうのは大事ですよね。仕事以外の、譲れないこと。あとはプロジェクトの合間に1〜2週間お休みもらったり?

田沼さん:

そうそう、プロジェクトの端境期に休んで。その辺は渡部さんもよくわかってますよね(笑)

渡部:

同じですね(笑)

◆6.1つ1つ得意にする◆

渡部:

体力的にも精神的にも、相当辛いこともあったと思いますが、仕事が楽しくなったのはいつ頃からですか?

田沼さん:

始めはずっと、「辞めたい、辞めたい」って言ってたんだけど、1年半ぐらい経ってから「あ、なんかおもしろいな」って思い始めて、そのままどんどんやっちゃったという感じかな。だんだん「やりたい!」に変わってきたんですよ。渡部さんはどうですか?

渡部:

僕は、そうだなあ、最初はシステムも会計も何も強みがなくて、上司のチェックでも赤ペンだらけ。毎日とても悔しかったですね。だから通勤の電車でも、家に帰ってからも、実務本で勉強して、6月半ばくらいに、すごくやりがいを感じてきましたね。

田沼さん:

ほんとお、すごいねえ。

渡部:

今思い返してみても、5年間で経験したプロジェクトの中で、一番好きなプロジェクトだったな。運が良かったのかもしれないです。

田沼さん:

僕はねえ、渡部さんも同じかわからないけど、アクセンチュアで生きていくのが大変だった。価値を出さないと、「何やってたの?」って言われるからさ。たとえば3時間今までやってて、「え?作ったのこれだけ?」なんて。

渡部:

僕の方は、夜6時以降ですね。自分の仕事を終えて上司に報告すると、「じゃあこれやってくれる?」って言われて、「いいですよ。」と。6時半になって、「終りました!」って報告すると、「じゃあ次はこれやってくれる?」って。延々と続くんです。

田沼さん:

あはははは。

渡部:

「え?次はあと何個あるんですか?」って聞きたくなっちゃって(笑)。最初にまとめて頼んでもらって、全体像を把握した上で、1つ1つ片付ける方が、効率が良いわけです。だから僕のは、いつ帰れるのかわからないという苦労でしたね。

田沼さん:

あ〜、そういうのか、なるほど。たしかにね、マネージャーにも依るよね。

渡部:

6時前には、「今日こそは早く帰れるだろう!」といつも思ってました(笑)。何日かしてやっと、「こういうものなんだな〜」ってわかって。「頼むとすぐやってくれるから」と後で教えてくれましたけど、それがなければ、もうとっくに帰っちゃってます(笑)。

田沼さん:

スピードを出しつつ、価値も出せるって、一番いいですよね。最初は、自分を認めてもらうのに、とにかく必死だったね。そして、「あ、こいつはパワーポイントが綺麗だ」とか、「リサーチがうまくできる」とか、「人との接触が上手だ」とかね、だんだん作っていくんだよね。そうしないと生きていけない、常に生存競争ですよ(笑)。 生きることの大変さって、当たり前なんだけど、忘れてるじゃない?会社に入って、初めてわかった。「会社に入ってお金をもらう」大変さじゃなくて、「会社の中で職を見つけ続ける」大変さは、徹底的に仕込まれましたねえ。

渡部:

あ〜。そうですね。あの時はお金面じゃないですよね、悩みは。懐かしいなあ。僕も会社員時代を思い出しましたね。

◆7.30歳 県政にチャレンジ◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。
(毎朝、駅前でご挨拶をする田沼さん)


渡部:

田沼さんにとって、辞め時は難しくなかったですか?「このままコンサルティングの仕事をどんどんやりたい!」という気持ちと、「県政に挑戦したい!」という気持ちと。

田沼さん:

確かにそうですね。アクセンチュアは好きな会社でした。今戻ることになっても全然良いと思っています。

ただ、「30歳にして立つ」という言葉もあるしね。昨年の12月に30歳になって、「この1年は、挑戦の年にしたい」と思ってね。だったら、「いつかやりたいと思っていることがあるなら、今やろう、県政へのチャレンジを始めよう」と思いました。30歳といえば、社会人経験も相応に積んで、一方で若く働き盛りでもあるときでもあると思います。その一番働ける時間こそ、政治に注ぎ込もうと考えました。

渡部:

なるほど。県政の中で、特にチャレンジしたい問題は、なんですか?

田沼さん:

僕は、教育の問題に、とても強い思いがあります。昨今の悲しい事件を聞いても、心の教育の重要性が高まっていると考えています。また、若者が夢を失っている実態も聞いており、夢や目標をもてる教育が非常に大事だと思っています。 そして最も強い思いがあるのが、歴史教育です。今の学校で教えている日本の歴史についての教育は、とても自己否定的で、とにかく暗いんです。先ほどの話でもでましたが、正しい自己肯定に基づく教育がなされなければ、日本を好きになれませんし、自分も好きになりにくいと思います。

渡部:

なぜそんなに教育について、問題意識を持つようになったんでしょうか?

田沼さん:

立花ゼミの頃や、その後社会人となってからも歴史を勉強していて、だんだん昔の人が生身の人間として、どんな悩みや決意を持ちながら過ごしていたのかが、感じられてきたんですね。この「感じる」歴史教育というのが大事で、多くの昔の人の生き様を感じるようになってきたとき、実は後世にいま生きている自分は、多くの昔の人のおかげで居られることに気付いたんですね。 それは僕にとっては、大変深い衝撃でした。昔の人、それは僕らの親とかも含めてですが、皆、将来に対して希望を託していたんですね。その将来に今自分が生きていることを知ったとき、「自分はひとりで生きているのではない、多くの方々のおかげで今の自分があれる」ことに初めて気付いたんです。 例えば、人には名前があります。僕の名前は「隆志」ですが、これは父がぼくが生まれたとき、「たかい志をもった人間になって欲しい」という願いがあって、つけた名前だそうです。そう、つまり、全ての人には苗字と別に名前がありますが、その名前には昔の人の願いが込められている。今を生きる私たちという存在は、そういう中に生きているんです。 ぼくはそのことに気付いてもらえる教育を、生みたい。自分は自分だけで生きているのではないことを、感じられる教育、それをなんとしても生み出したい。それが私、田沼隆志の悲願です。

渡部:

なるほど。よくわかりました。そういう意味で、田沼さんが今、一番やりたいことが、歴史教育の改革なんですね?

田沼さん:

そう。だから別に政治家でなくても良かったんです。一番大事なのは、歴史教育。ただそれをやるために、僕が一番働けそうな仕事を考えたら、教師ではなく政治かな、と思いました。

渡部:

歴史教育の改革という、やりたいことがまずあって、それを実現する手段を検討した結果、県政へのチャレンジだという順序なんですね。

田沼さん:

そうですね。まず政治家になりたいというのは、僕はおかしいと思う。やっぱり政治家は、手段だと思います。政治家という仕事自体が目的となるのは、本末転倒だと思う。

渡部:

そうですよね。政策が広がったり、付随するものが出てきたりはするでしょうが、最初に核となる想いや、やりたいことが、政治家にはあるべきなんでしょうね。

田沼さん:

そうですね。ぼくが教育改革をしたいもともとの動機は、正しい自己肯定にあるし、つまり子供達が元気になって欲しい、ということにあります。特に心の教育や歴史教育については、「多くの人のおかげで今の自分があることが、気付ける・感じられるような教育」をして欲しい。 ぼくは歴史を30歳近くまで勉強し続けて、そのことにやっと気付いたんです。昔から親や祖父母、近所の方、皆いたけど、正直にいうと自分は自分で生きていると思っていました。東大に入ったのも、第一志望の会社に就職できたのも、全て自分の力だと思っていました。本当に未熟でした。

渡部:

僕が気付いたのは去年の10月くらいですかね。周りの人に感謝していきたいと心に決めたのは。私の大切な友人がきっかけをくれたのですが。約半年くらい、真剣に自分の性格も含めて、短所・長所、心がけて行きたいことなど、自分と一体になるまで見つめ直しました。

田沼さん:

27歳ですか。早い方だと思いますよ! 僕なんてだいぶ独りよがりの性格だったと思います(笑)。

渡部:

やっぱり会社辞めて、自分で独立して、会社員を辞めて色々なことを感じて、そんな時でしたね。今思えば本当に良かった、大事な時期。今後ずっと大切なことだから。

田沼さん:

やはり稲毛の人に育ててもらったと思うようになると、稲毛の人が家族のように思えてくるんです。家族の人が困っていることは、やっぱりなんでも心配になる。たとえば稲毛で交通が不便とか、病院がないとか。 でももちろん、教育改革が一番大事だと思っています。これこそがぼくの一生のテーマです。やはり政治家というのは手段であって、そういった実現したいことがあるから政治家になりたいというのが、正しい道ではないかと思います。

◆8.良い政治家の条件◆

渡部:

「政治家は、ふだんこんな風に頑張っていて、そのおかげでこんな良いことがあるんだなあ。ありがたいなあ。」と、実感させてくれる政治家が増えてくれば、日本も変わると思います。

田沼さん:

そうですねえ。この前ブログにも書いたんですけど、良い政治家かを決めるのは、僕は愛着だと思いますね。

渡部:

あ、書いてありましたね。一番重視するのは、って。

田沼さん:

政治家というのは、素晴らしい仕事になりうる、と思いますよ。日本への愛着があって、だからこう変えたい、と。政治家には、それができる力がある、実現できるからね。

渡部:

確かに愛着は、行動を起す時に、強いエネルギーになりますからね。

田沼さん:

そう。責任をもって、大好きな町のために働けるということは、素晴らしいことだと思う。愛着がないと、職業のための政治家になったり、何のための政治か、分からなくなると思う。僕も、政治に対するイメージは悪いなあと、感じてましたからね。先生と呼ばれるのも、僕は好きじゃないです。

渡部:

そうですね、県政に携わっても、今と変わらず、気軽に電話もできるし、新たな発見を嬉しそうに友達に話すように教えてくれたり、まめに取り組みを公開してくれる、そんな政治家が良いな。楽しくなると思う。信念で、好きでやっていれば、選挙期間でない日常でも、それを皆に伝えられると思いますし、きっと伝わります。

田沼さん:

政治というものが、ほんとに社会を変えられるものなんだ、ということに気付いてもらえるような政治をしたい。そして少なくとも僕の信念としては、自分がやっていることは、伝えて行きたいです。やっぱり稲毛の人と話したい。何を望んでいるのかも聞きたいし、歴史教育について一緒に考えたい。聞きたいし、話したいです。

◆9.故郷稲毛への想い◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。

渡部:

うちの「会員登録」ボタンから、今週も3通、メールが届いたんです。とても嬉しいので、すぐお礼を書いて。でも、これは普通では、ありえないことなんです。だって、年齢もわからないし、性別だって名前で判断するしかないんです。

田沼さん:

そうですよね。普通では、ありえないことですよね。

渡部:

それだけつながりのない人が、応援してくれてメールをくれたというのは、、、感動しますね。いつか恩返ししたいし、何か喜んでもらえる仕組みを早々に、どんどん会員の方に提供していきたい。立ち上げ3ヵ月未満のこの時期、涙が出るほどの感動なんです。

田沼さん:

僕はね、郷土を温かくしていこうという活動は、多くの人にやってもらいたいです。稲毛の人は東京で働く人も多い。東京はやっぱり一流で、優れた部分もあるから、「東京で学んだことを、地域に還元しよう」と活動することは、とても良いことだと思います。

渡部:

なるほど、今お話を聞いて実感できましたが、そういう捉え方をしたことはなかったので、とても新鮮です。

田沼さん:

うん。なんか心の砂漠化が進んでる気がするの。稲毛もマンションが増えてきて、自分もマンション育ちだから気をつけているんだけど、マンションはとても砂漠化しやすいと思う。温かく、稲毛に戻りたいと思うような、町になってほしい。これをやらないと歴史教育を直してもだめかもしれない、と思うくらいに強い危機感を持っています。

渡部:

オレオレ詐欺とか、悪徳商法とか、そうした被害を防ごうと、特に年配の方の警戒心が、非常に強くなっているように感じます。

田沼さん:

そうだねえ。

渡部:

でも近所であろうと、ビジネスであろうと、どんな状態でも人を警戒してしまう、これは悲しい世の中です。私が子供のころだって、ここまでじゃなかった。

田沼さん:

新潟では祖母がいますけど、そこではほとんど鍵をかけないんですね。東京では家に鍵をかけて、物にまで鍵をかけてしまう。「物に鍵をかける」ということは、「心にも鍵をかける」ことになってしまうと思う。なるべく鍵をかけないような町になってほしいし、東京は、「学びに来るけど、いつかふるさとにもどるための場所」であってほしい。仕事が忙しくて東京を離れられなかったら、せめて帰省するだけでも全然違う。

渡部:

全然違いますね。仕事が大変になるほど、休日を家族と過ごすことに、使えなくなってくるのは、ストレスで心が病んでしまっているのだと思います。僕も会社員時代、そんな時期があったので。

田沼さん:

帰省する頻度は、実際に減っているんですよ。おぼんや年末年始も、海外に行く人が増えてきて、家族団らんがないんですね。大事なのは心が温かいことだと思います。お金はあるけど、心がその分、貧しくなる。世の中全体が、だんだんそうなっているような気がして、非常に危機感を感じています。 心の砂漠化を止めるためには、温かい故郷を創ること、自己肯定、自分を好きだと思えることが必要です。そのためには、正しい歴史はこうなんだ、日本は失敗もしたけど良いこともあったんだ、みんなのおかげで今の自分があるんだ、と。 後悔しても、上手く行くとは思わないんですね。失敗だ、この時代は暗黒時代だと思っちゃいけない。必ず意味があるんです。「その時間に、精一杯頑張れて良かった」と思えるような、生き方をすることが大事です。

渡部:

それって前向きな生き方とも言えますし、また弱いところを認めてあげる、理解してあげる、許してあげること、とも言えると思います。これもすごく大事かな。寛容さはもうちょっと欲しいかな、と思います。

田沼さん:

そうだね。今は"ぎすぎす"しているからね。

渡部:

あと歴史教育にしても、近所付き合いがあれば、自分より経験豊かな人から、自分が経験していない時代のお話を、自分がそこにいたかのように、リアルに実感することができます。それを知恵にできる。これは教育と同じくらい、効果があると思っています。色んな場面で、そのありがたさに気付きます。

田沼さん:

たとえば、70歳の人と20歳の人が話す機会が減っている原因として、核家族化もあると思う。地域のコミュニティがないと、世代間交流も進まないし、生の話を聞いて自分の見方を具体化することも、難しくなってしまう。マンガやゲームの世界だけでなく、生の人・声に接することが大事だと思う。

渡部:

年上の方の、貴重なお話や体験が日常的に訊けることは、楽しくて、勉強になって、とても嬉しいことです。「私だけが訊くのはもったいないな」とか、「あ〜、録音テープ持ってくれば良かった」と、思うことがよくあります。それを、年下の人とも分かち合って、そこで生まれたものを、また年上の方に返したい。だから、いどばた稲毛♪は世代を超えて、大きな「人と人とのつながり」に輪を広げて行きたいです。

田沼さん:

そうだね、やっぱり世の中を変えるのは若者だ!と、自分も若者に含めて言いたいんだけど(笑)。若者は、お金も経験もないけど夢があって、大人は、知っているから「難しいよ」とか、ついつい言ってしまうと思うけど、知らないからこそのパワーが、若者にはあると思うんです。僕も若者とも、どんどんお話して行きたいと思います。

渡部:

そうですね。稲毛は学生が多いし、年配の方には稲毛が好きな人も、問題意識の高い人も多い。そういう意味で、稲毛は素晴らしい町で、大きな可能性があります。

◆10.痛みは必要か?◆

渡部:

よく「改革には痛みが伴う」と言われ、私もそれは当然だと思っています。何かを変えるにはパワーが必要で、1人ではできない。ただ、稲毛を良く変えるために、お金がなくとも、有名でなくとも、負担できる痛みがあると、僕は思います。「自分事として取り組むこと」、「変えたいという、たくさんの方々の強い意思」、「自分にできる範囲で、できることから協力する行動」、受け止め方を変えれば、「痛み」も「前向きな行動」です。誰でも参加できる。田沼さんは「改革」について、どのようにお考えでしょうか?

田沼さん:

そうですね、「全然苦労していない、誰も痛まない、汗も流さない」状況では何も変わらないし、評論家はいらない。やっぱり、何か汗をかくことから始まると思います。何かやってから、大変だとか大変じゃないとか言えばいいのです。

渡部:

そうですね、他人事でなく、自分事として捉えると、適当にやろうなんて全く思わないし、意味のない批判もしなくなるんですよね。

田沼さん:

うん、そうですね。組織でもそれは感じました。その場は誰も文句言わないような、改革計画ができちゃうケースもあるんです。「この商品も売って、この商品も売って、この商品も売る、そうすると企業は大きく伸びる」なんて(笑)できるわけないだろう!

渡部:

ああ、それはよく言う「ビジョンがない」っていうことですよね。

田沼さん:

そうそうそう。ちゃんと厳しく、「これはおかしい!」という人がいるなら、「AとBは売るけど、Cは諦めよう」と。辛いことも我慢するからこそ、AとBに集中できる、夢のある未来が見えてくるわけでさ。「 我慢しても、将来のために大切だからやる」、これは、愛情なんです。

◆11.稲毛のどこを改革?◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。

渡部:

歴史教育改革は、田沼さんが第一優先で着手することですが、改革のポイントは、どのような点にありますか?

田沼さん:

歴史教育の問題は、精神の部分に関わるので、非常に難しい問題だとは思います。だから政治家は、少人数制とか、学校選択制とか、わかりやすいハードの部分に取り組んできたのだと思う。ところが教育、つまり心のソフトの部分に関しては、「実際に故郷を愛する心が育ってますか?」と議会で質問したとしても、なかなか答えられるものではないので。だからこそ、稲毛の人と一緒に考えて、真剣に取り組んで行きたいと思います。

渡部:

個々人の、心の問題ですからね。逆に稲毛の人に身近な問題で、かつ効果がわかりやすいことで、まず着手したいことはありますか?

田沼さん:

稲毛は文教の町ですから、文化の香る町にしたいですね。具体的には、玄関である駅前があまり美しくないので、それをなんとかしたいです。

横溝さん:

住民達の憩いの場もほしいですね。駅を降りて、一息つけて、待ち合わせ場所にもなるような。今の稲毛駅を降りて感じるイメージは、歓楽街ですよ。

田沼さん:

そうだよね。文教の町じゃなくて娯楽の町になってしまう。

渡部:

娯楽と言っても限られたものしかないし。そういう意味では渋谷のハチ公はすごいね。銅像と座るところがあるだけなのに、待ち合わせできて、しかも非常に活気がある。くつろいでいる人もいる。治安とゴミは疑問だけど。

田沼さん:

そうですね。文教の町にふさわしい、場所やお店も増やして行きたいと思っています。駅前に不満を持っている人は多いです。

渡部:

まずは不満を参考に、「駅前に何があったらこんなに良いのに」という前向きな声をいっぱい集めて、具体化して行きたいですね。夢があるような。

◆12.改革の流れ(まめ知識)◆

渡部:

ここで、一般的な話として、小学生でもわかるように、改革案ができてから、それが解決に向けて実行されるまでの流れを、いどばた稲毛♪で紹介したいのですが。まず改革案を議会で取り上げて、承認を経て、予算がつき、業者に発注して着手という流れだと思いますが、田沼さん、教えて下さい。

田沼さん:

まず、現場である知事や職員が出してきた条例などの案を、千葉県の場合は、県議会議員98人が、議会で質問して、チェックして、議論して、過半数50人以上が賛成すれば、もちろん予算がついて、具体的に解決に向けて動き出すわけです。

渡部:

逆に、議会で承認されなければ、どうなりますか?

田沼さん:

やっぱり予算がないということで、その案は進められなくなります。発案者個人でそのお金を出すのは不可能ですから。 ただ議会にあがる条例案以外にも、県庁の人たちが働く現場で、もう少し小さなことが決定されたりもしています。そこに対して議員がしっかりと関与して、実現できることもあります。議員が現場の職員に、経緯や内容をきっちりヒアリングして、厳しくチェックすることが大事で、議員のチェック能力が高ければ高いほど、良い案が実行されるわけです。

渡部:

なるほど。では1つ1つの問題に対して、きっちりと自分の目で見極めようと思えば、議員は相当忙しいし、日々勉強が必要だし、あんまりたくさんの政策を掲げることもできないわけですね。

田沼さん:

そうなんです。「だから、あれもこれも、これもやります!」というように、とても広くまんべんない政策を掲げると、結局何も変えられないわけです。そうなると、個々のチェックも甘くなりますから、職員が議員のチェック能力を、軽視するようなことも出てきます。当然、良い案が出てこないことにもなりえます。

横溝さん:

逆に、1つの政策で、複数の効果があがるような政策もありますしね。

渡部:

そうですね。僕は、最初は少数でも、1人1人が協力して多数になり、実際により良い稲毛に変わっていく姿を、早くみたいですね。この稲毛で。そしてそういう明るい話題をたくさん、いどばた稲毛♪で取り上げて行きたいです。

田沼さん:

僕もどんどん、皆さんの知恵をもらいたいと思っています。これは、決して弱気な発言ではなくて、自分一人でたくさん勉強できるわけではないし、やっぱり、多くの皆さんが望んでいることを、実現したいと思いますし、皆さんと話し合う中で、良い考えを作っていきたい。その良い考えをしっかり作ることが、まず政治に参加する第一歩です。

◆13.政党?それとも無所属?◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。
(横浜から応援に駆けつけているという、横溝さん)


渡部:

朝から晩までの、今の活動を教えて下さい。

田沼さん:

朝は毎日5時起きです。毎日JR稲毛駅、京成稲毛駅、モノレールの駅、西千葉駅などで、挨拶しています。昼間は色々な準備で、チラシを配ったり、新しいチラシを作成したり、夜まで、できるだけ多くの方と意見を交換したりして、過ごしています。

渡部:

実際に、県政へのチャレンジとして、取り組んでから実感したことはありますか?

田沼さん:

政党のうらやましさというのは感じますね。ほんとに暗中模索、五里霧中の中でやっていますから、ノウハウもないわけですが、政党に所属していれば、ノウハウもあるし、安心感を持ってもらえたり、助成金をもらえたり、組織票も入るんです。よく選挙には、「地盤・看板・かばんの3つが必要だ」と言われるのですが、地盤は住民の名簿、看板は政党に属しているという、住民の安心感、かばんというのはお金のこと。政党に入っていれば、それらのかなりの部分が入ってくる。

渡部:

ただ政党に入るデメリット、無所属ならではのメリットもあるわけですよね?

田沼さん:

たしかに、政党に所属することには、危険もありますね。党の主張に反することはできないし、所属政党以外の人を尊敬していても、党の人を応援しなきゃいけない場面もあるでしょうし、自由度が非常に減ります。

渡部:

なるほど。自分の生き方を左右するほどの縛りが出てきてしまうと、辛いでしょうね。そういう意味では、「無所属なら思い切ってやれる!」と。

田沼さん:

そうですね。危険を顧みずに、本当に良いと思う信念を、貫きやすいわけです。 ただやってみて本当に実感したのは、やっぱりノウハウを初めとした、政党に所属することのメリットがいかに大きいか、ということですかね。

渡部:

横溝さんは、田沼さんを支えられているということで、いつも一緒に色々なことを体験されていると思うのですが、いかがですか?

横溝さん:

一番はコミュニケーションの難しさですね。伝えたい思いは、たくさんあるんです。だけど、それを「どう伝えれば伝わるか」、これが難しい。

渡部:

なるほど。私もそこには相当力を入れています。試行錯誤で、諦めずに繰り返しチャレンジして、「より良い」を目指していくしかないですよね。

横溝さん:

そうですね。リーフレットも、「受取って、しかも読んでもらうには」って考えると、今はまだ受取ってくれる人は少ないので、そこが今の僕たちの、一番の課題です。ブログも、まだまだ工夫のしがいがありますね。

◆14.やって初めて気付いた◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。 (夜も一生懸命にご挨拶、田沼さん)


横溝さん:

やってみて一番わかったのは、感動・賛同を得られることが、こんなに嬉しいことだと思わなかったし、逆に、得られないことがこんなに残念なんだと、やってみて気付きました。

田沼さん:

渡部さんも同じだと思いますけど、伝えるには、自分で挨拶するしかないわけで、それがいかに大変か、そしてリーフレットを受取ってもらえたり、「伝えられそうだ」と感じる時は、本当に嬉しいですし、それでも伝えられない時の残念さというのは、非常に精神を上下しますね。こんなに影響力があるとは思わなかったけど。

渡部:

そうですね、同じですね。よくわかります。

田沼さん:

上手ではないけれど、ほんとに魂を込めてしゃべったり、魂を込めて書いてるものだからさ。やっぱり、「いいよ!」とか言ってくれると、すごい嬉しいわけです。

渡部:

スマートでなくとも、ほんとに一生懸命な姿は、とても良いものだと思います。

田沼さん:

逆に言えば、それが通じない人もいるので、「こういった経験を通して、自分の成長につなげていかないと」と、頑張っています。

◆15.横溝さんの支援◆

田沼隆志さん 対談特集の写真です。 (「人と人とのつながり」はいどばた稲毛♪の使命。横溝さんのお話に注目!)


渡部:

ふだんはお二人で活動されているわけですよね?

田沼さん:

そうですね。

渡部:

でも二人だからこそ、お互いに理解して、励ましあう、良い面もありますよね?

田沼さん:

そうです!それはその通りで、僕は1人だったら、ここまでできなかったと思いますね。

渡部:

いいですね。いどばた稲毛♪も二人でしたから、ここまで一緒にやってくれた馬場にとても感謝しています。私1人では、とてもここまでにできなかった。何度も助けてもらった。よくわかります。

田沼さん:

うん。本当に感謝していますね。

渡部:

横溝さんは、なんで今回お手伝いすることになったのでしょうか?田沼さんのいとこということは伺っておりますが。

横溝さん:

まず最初に、僕が22歳ごろ、今から4年前くらいに、「人と人とのつながり」ということを意識しまして、元々僕の友達付き合いというのは、狭く深くというのが信条だったんですね。

渡部:

ああ、僕の昔と一緒ですねえ。

横溝さん:

そうなんですか(笑)ただ僕はすごく友達に恵まれて、どんなことをしていても、戻ってこれる場所、という良い関係なんです。その反対は「広く浅く」ですが、考えた結果、やろうと思えば「広く深く」もできるだろうと、思ったわけです。今まで色々な友人のお仕事を手伝ったりしてきたわけですけど、僕は横浜暮らしなのですが、今回田沼さんが千葉県政に挑戦すると聞いて、その人と人とのつながりについて考えを聞いて、僕の方から稲毛に手伝いに来たんです。それくらい、感動したんです。

渡部:

おお。これは。すごいことですよね?なんと表現したらいいのか。ほんとにすごいことで、ありがたいことですね。

横溝さん:

よく親の背中を見て育つといいますが、僕は親からだけでもないと思うんです。今、ニートの問題などもありますが、たとえば近所のおじさんとお話できれば、どんな仕事をしていて、どれだけ大変か等、詳しい情報を知ることができるわけで、色々わかって初めて、自分が何をしたいかわかったり、自分の目標が決まることって、多いと思うんですね。まだ何も知らないわけですから。

渡部:

僕もそう思いますね。言葉で職業名だけを知っていても、興味の湧き様がないと思います。何も知らない世界に飛び込む人は少ないですしね。知らないからこそ、決められないのだと思うし、深く知る機会が少ないのかもしれませんね。情報は本でも得られるけれど、実際に聞いて初めて、自分のものとして情報を生かせることは多いですね。

横溝さん:

そのためにはそういうネットワークというか、コミュニティが必要なんです。色々な人からお話が聞けて、困った時にも助け合える。そんなつながりが作れたらいいな、と思って、だから僕はまず友達を助けることをしているのです。

田沼さん:

この横溝くんの、まず自分からやっていこうというこの熱意・決意が、一番素晴らしいよね。「こうしたいから、まず自分はこれをやっている」ということが大事で、政治だってこうあるべきだと思う。ほんのわずかでいいから、一歩何かを始めることが、世の中を良くすることだと、僕は本当に思いますね。

渡部:

「笑っていいとも」の電話の人がつながっているのも、僕はとてもいい発想で、素晴らしいことだと思うんです。

横溝さん:

ああ〜。

田沼さん:

なるほどね。

渡部:

別にたくさん楽して儲けたいとか、そんな考えじゃないんです。そういう動きを作り出して、しかも継続するのは、そう簡単なものではないのです。笑っていいともの電話のように、まず友達1人でいいから、機会を紹介してあげる。その心がリレー式につながって、個々人も、それぞれの喜びを感じられる。そんな動きをいどばた稲毛♪で作りたい。

横溝さん:

出会いの場が少ないんですよね。出会い系サイトなんて出てきてますし。

渡部:

そういえばパーク(稲毛パークハウス)でもイベントやってますよね?

田沼さん:

お祭りとかC棟公園であったりしますね。

渡部:

そういう機会に顔出すだけでも、だいぶ違いますしね。楽しいですよ。

田沼さん:

そうだよね。やっぱり僕はパークで育ったという思いが強いので、パークでの出会いも大切にしていきた。また稲毛では、マンションが増えているので、マンションの中でのコミュニケーションや、マンション住民と地元民のふれあいも築いていきたい。それができることを、この稲毛で示して行きたいです。

◆16.稲毛から日本へ◆

田沼さん:

僕はね、稲毛が大好きで、稲毛が良い町になって欲しいと言っているけれど、この前、「稲毛が好きな人に千葉県全体の仕事を任せるのは変な気がする」と言われたんです。でも、僕の中では筋が通っているんです。稲毛は都市化している現象の縮図で、千葉市で人口密度が一番高くて、どんどんマンションが建ち、新旧住民の中で上手くいかない部分もある。日本の新しい街づくりの中で、非常に大切なテーマをたくさん抱えている町だと思うし、稲毛を良くすることは、他の町のモデルになると思う。だから、僕が稲毛のためにとやることは、きっと千葉県のため、日本のためになると信じているんです。

渡部:

稲毛はモデルになりうる良い要素を、既にたくさん持っているということですよね。

田沼さん:

「モデルになろうよ!高い志を持って、目指しましょうよ!」って、言いたいんです。まずは、パークが良くなってほしいと思うし、「パークと周りの住民の方との関係も良くできるってことを、見せてやりましょうよ!」と言いたいと思います。なかなか今の僕には、そんな力はまだないですけど。

渡部:

そういうことも言って良いとも、思いますよ。家族だって違う人間ですから、家族が協力してくれたら嬉しいし、家族でない人が、何もない初期に応援してくれたら、涙が出るくらい嬉しいわけです。1人1人大切にして、徐々にそこから、「いいね、僕も乗るよ」って言ってくれる方が増えてくればいいと思います。

田沼さん:

うん、うん。そうだねえ。

渡部:

話しているうちに、「あ、今度いどばた稲毛♪でこれをやろうかな」とか、どんどん新しいアイディアが浮かんできて、勉強にもなるし、とてもよい刺激をもらって、今すごく嬉しいんです。今日は長い時間、ありがとうございました。

田沼さん:

こちらこそ、ありがとうございました。

横溝さん:

また気軽に来て下さいね!

◆最後に、読者の皆様へ、田沼さんから一言です。◆

田沼隆志は、「稲毛のここを変えたい!」という皆さんの声を、
  聞かせて頂きたいと思っています。お礼に一曲、歌わせて頂きます♪


  (稲毛で10年以上活動している『合唱団からたち』の団長です。
   NHKに出演したり、老人ホームや幼稚園でも演奏しています。
   主婦の会などで大好評です!)


  お問合せはコチラ! ⇒ 080-3017-4976/043-253-7255


◆田沼さんをもっと知りたい方は、ブログもあります!◆
政治家への道 〜田沼隆志の、ゼロからの挑戦〜
千葉市在住の普通の30歳サラリーマンが、地盤・看板・カバンも政党所属
もない、全くのゼロから政治家を目指して挑戦する日々!



田沼隆志さん 対談特集の写真です。