2006年3月24日 10:00〜11:30 稲毛新聞オフィスにて
稲毛新聞:佐藤正成社長 いどばた 稲毛♪:渡部代表、馬場専務
渡部:
ではまず、稲毛新聞を始めようと思われたきっかけを教えて下さい。
佐藤社長:
それまでは柏で新聞を作っていたんですよ。
渡部:
そうでしたか。既に新聞のプロだったわけですね。
佐藤社長:
ええ。毎日新聞の関係の仕事で、柏地区の毎日新聞の販売店が買ってくれていました。
「東葛まいにち」という新聞でね、今も続いています。この新聞は僕が創刊しました。
約10年間この仕事をしたのですが、通勤で柏から帰るのが大変だったから、
後の人に任せて、稲毛に来ました。
〔東葛まいにちを見せてくださる〕
千葉で、毎日新聞の協力を得て同じ形式でやろうとしたけど、販売店がうんと言わなかった。
買うのが嫌だって(笑)。しょうがないから、自分で稲毛新聞をやろうということになりました。
新聞を出すこと自体が目的だったのではなくて、
地元のために役立つことをしようと思ったのがきっかけで、稲毛新聞を始めました。
町内には行政上の色々な問題がありました。
たとえば、稲毛駅前にムクドリがいっぱい来ているのに役所が何もしない。
他にも区画整理の問題だとか。
だから新聞で書いて行政を動かそう、地元を盛り上げよう、活性化しよう、と思いました。
同時に、丁度ここの町内会長も経験しましたから。
渡部:
素晴らしい。
佐藤社長:
もっと早く始めれば良かったのですが。他にも新聞作りをやっていたんですよ。
千葉県飲食店組合の新聞とか、自動車整備の新聞(千車ニュース)とか、
首都圏のふるさと会の広報紙とか、複数の新聞をSK企画という名前でやっていました。
それだけでは少し余力があったから稲毛新聞を始めたわけです。
記事を集めたりするのはずっとやっていたから慣れていました。
渡部:
記事にする情報というのは、どうやってキャッチするのですか?
佐藤社長:
新聞記者というのは足で歩かなければならないのです。
広告を集めるのが最初から得意でした。
新聞というのは最初に広告を集めることが必要なんです。
しかし、広告だけでは新聞はできない。編集・取材能力も大事なのです。
新聞というのは取材、写真のレイアウト、校正、割付とか色々あるんですよ。
割付だってルールがあるからね。取材、広告取り、デザインまで含めて全て1人でやった。
器用貧乏というかね、色々経験したからね。
毎日新聞のOBだとか色々な人に手伝ってもらいましたが、全然役に立たなかった。
構成やるひとは構成しかできない。記事書く人は記事を書くことしかできない。
だから皆の専門をまとめる人が必要なのです。
たまたま僕は色々な経験をしていたから、入りやすかった。
渡部:
ここで略歴を聞かせていただけませんか?
佐藤社長:
まだ未公開で秘密になんだけどね。特別本当のことをいうよ。
僕の人生は一口に言って波乱万丈でした。高卒で一番初めに仕事をしたのが地方公務員。
これも親父が町長の選挙運動して教育委員会というところに高卒で強制的に務めさせた。
社会教育の担当でした。
当時は青年学級とか婦人学級とかで16ミリ映写機を担いで教育映画を各地で上映したり、
公民館の広報紙もつくった。それが新聞作りの第一歩です。
仕事は楽しく夢があったが、給料が安くて親と対立した。そこで公務員を捨て東京に出てきた。
親と仕送りするの約束でね。普通の会社に勤めたのでは親に仕送りができない。
それで毎日新聞の勧誘員をやりました。
田舎者が東京で営業マンをするということは大変なことなんです。
言葉のハンディもあるし、誰も頼る人がいない。
それで新聞の勧誘は断られ嫌われ成果が上がらない。固定給がない。これを知らなかった。
そこで4ヶ月くらいしか続かなくて、次にやったのは1ヶ月無料で学校に入れてくれる
「ポーラ化粧品のセールス学校」。
卒業後、浅草の後営業所に配属され、化粧品のセールスもした。
会社の机の上で寝泊りしてがんばり、常に売上はトップで田舎に仕送りすることができた。
しかし、自分の生涯の仕事は化粧品売りではない。
ジャーナリストだという夢があり、農林省や農協の仕事をする
「日本農民新聞社」に入社したのです。
ここでは社長に可愛がられて
「君は将来社長だ」と言われました。
企画営業課長として農林省では大臣官房総務課所轄の
「農業祭専門委員」という肩書き約10年間頑張りました。
国会にも出入りして佐藤栄作、田中角栄の自宅にまで取材に行ったこともあります。
農協団体や大手メーカーにも出入りし、世の中の仕組みや動きがよくわかるようになった。
もともと正義感が強かったので農協団体の不正を追及して社長に怒られた。
社長は遺留したが責任を感じて依願退職した。
それで千葉に引っ込んで毎日新聞の千葉版の広告を担当するようになったのです。
それ以後は冒頭に述べたとおりです。
渡部:
本当に波乱万丈の人生でしたね。
ところで稲毛新聞の創刊号はどのような記事を取り上げられたのですか?
佐藤社長:
最初の新聞は、地元の問題を取り上げた。これですよ。〔創刊号を見せていただいた〕
渡部:
96年・・・ちょうど10年前ですね。
佐藤社長:
これが創刊号ですね。何をやったかというと、ここ。
〔後退する地区という記事、稲毛駅西口駅前の地図を指して〕
なぜ駅前の中心のこの地域だけが、第一種低層住宅地域なんだろうかと。
おかしいんですよ。高い建物を建ててはいけないんですよ、駅前なのに。
商業地域は違いますよ。この駅前の大通りだけは、少なくとも商業地域にしなきゃいけない。
それが今でもなっていないんですよ。
渡部:
今でもですか・・・ちょうどおとといも夜歩きましたけれど、真っ暗でしたし、
たしかに・・・
佐藤社長:
駅前の狭いここ、何年も木とか電柱とか、邪魔でね。
この記事で反響があって、稲毛新聞が脚光を浴びたんですよ。
花火大会だって、ずっと稲毛海岸でやっていたんですよ。
稲毛海岸で花火大会をやっていた頃は40万人の人出があった。
それが千葉港に移動したら10万人に減った。
なんで石油基地のある工業地帯で花火大会をわざわざやるんだと主張したわけです。
この時たくさんの読者から「そのとおりだ」という反響がありましたね。
〔電話が鳴る〕 お忙しいですね。
佐藤社長:
次の号は小仲台区画整理の問題。ここの場所ですね。
〔「30年かけても終わらない」という記事を指して〕
ここのわずか2,3軒の家がどかないために終わらない。
未だに稲毛駅東口一帯は地番が仮登記地域になっている。
渡部:
なるほど、創刊号からそういった地元の問題を取り上げることで、
行政に働きかけてこられたわけですね。
佐藤社長:
〔ちょっと過激な表現の見出しを指して〕これね(笑)。
弁天町の千葉公園にある池は、下水を流してるんですよ。
ウンコが混じっているから何時までたっても汚い。それが大雨で溢れちゃうことがある。
それから公務員とその他の会社員との所得格差の問題や地域のさまざまな問題を取り上げて
きたので、だんだん稲毛新聞は人気が出てきて、読者の声や意見、
アンケートが多く届くようになった。 そういう歴史があるんですよ。
渡部:
切り込み方が違うといいますか、視点が鋭いですね。
佐藤社長:
経験がものを言いますからね。
渡部:
先ほどの第一種低層住宅地域と商業地域ですとか、知識も幅広く、かつ深いですね。
佐藤社長:
そうですね。 他にもモノレールをどうして作るんだとか。
千葉駅前の「プロムナード計画」にものすごい大金を使って大通りを広くしようとしたり、
なぜ厚化粧しなければならないのかと。車道を狭くして歩道をわざわざ広くしたとか。
たくさん取り上げました。
そういった中で賞(JLNAブロンズ賞)をもらった作品も
2回あります。これまで全国的に反響を呼んだのは、
宝くじに当選したのに5千万円の券をもらえないというスクープ記事です。
その記事を大手マスコミが一斉に報道しました。しかも大々的にね。
色々なテレビや雑誌が取材に来て、僕もテレビにでたこともあります。
それから稲毛新聞が有名になりました。
佐藤社長:
最初のころは配布、記事集め、広告まで自分でやっていたから全然休みなし、
真夜中までいつも。徹夜だって何回もやったよ。
最近はしなくなったけど、一時は締め切り間際は、毎日徹夜でした。
記事も広告も紙面を埋めるように集めなければならないからね。
配布も全部、妻と二人でポストにひとつずつ、犬にほえられたり、道に迷ったりして、
そういった苦労もしましたね。だんだん人が配達してくれる人が増えてきたけど、
やっぱり最初は何でも一人でやることからスタートしました。
仕事はこの10年間休んだことはなく、労働時間は平均12時間。
完全に労働基準法違反(笑)です。健康だからできたのです。
渡部:
そのときに人生の素敵なパートナーがいらっしゃったことは、素晴らしいことですね。
佐藤社長:
そうだね。文句ひとつ言わずにやってくれてね。
最初はパソコンとか全然できなかったんだけど、今はちゃんとやってくれてますね。
渡部:
心強かったんじゃないですか?
佐藤社長:
〔言葉をかみしめながら〕そうだね。
佐藤社長:
最初の新聞は、いちいち版の割付を作って持っていって、校正したんですよ。
あれですよ。
あれで最初に割付を作っちゃう。ただ、全然活字が違うし、新聞らしくない。
写真も全部何センチ×何センチと数値を指定してやるんだけど、数値指定をまちがえて、
ちっちゃくなったり、大きく入れてしまったり、最初はそういった苦労もしましたよ。
便利なソフトやカラーを使うようになったのはここ5年ですね。
当時はカラーなんか高いから、「写真一点いくら」ですから。
8ページも刷ると膨大な金がかかった。ところが今はパソコンで割り付けをして仕上げてしまう。
それをインターネットで印刷工場に送る。次の日の朝新聞が届く。
便利になったが昔はそういう苦労がありましたね。
佐藤社長:
それでいて儲かるかといえば、儲からない。
で、金貸してくれと言ったって、銀行も金貸してくれない。
仕方なく高利貸しに行って、金借りて。高利貸し、本当に金利が高いんだから。
渡部:
でも創刊号から広告もたくさん載っていますよね。
佐藤社長:
そうです。それはスポンサーのお蔭です、載せてはいるけど広告スペースは少し足りない。
記事が多いね。最初から地域新聞みたいに広告を全部やりゃあよかったね(笑)。
うちは記事中心にやっていたから、皆さんから受けたんだし、
今更全部広告の新聞にするわけにはいかないしね。
渡部:
そうですね。皆さん楽しみに待っていますから。
佐藤社長:
そうですねえ、まあそういう苦労もありました。
渡部:
逆に反発といいますか、理解されなかったりということは?
佐藤社長:
そうだね。記事に対して、けっこう苦情もありましたけど、
ちゃんと反論できるものばかりでしたね。じゃあ反対意見を出しなさい、
あんたの意見も載せてあげるから、と。
稲毛新聞は、稲毛新聞の悪口を言う人の記事もちゃんと載ってるし、
ほめてくれる人の記事も両方載ってるから公平でしょうと、そういう風にやってきました。
渡部:
なるほど。そうやって、一つ一つの意見にも耳を傾けて、
丁寧に対応していたんですね。素晴らしいですね。
今では稲毛新聞を知らない人はいないくらいまでになりましたしね。
佐藤社長:
この地域の皆さんは読んでいただいているので。
掲示板にはいろいろな書き込みもいただいている。
ホームページにはそのまま記事を転載していますが、
これも10年続けているということは、一歩進んでいたのです。
ちなみに、ホームページのアクセス訪問客は毎日1000本ですよ。
ヒット件数は3万から4万と増えています。単独のホームページとしては多い方でしょう。
記事内容とか書き込みがあるし、最近、本紙とは別にニュース速報を独自にいれています。
今後これを充実させることが課題です。お手伝いしてくださいよ。
渡部:
稲毛新聞がさらに発展したな、新しい動きが出てきたな、と感じたのはどんなときでしたか?
佐藤社長:
佐藤社長:稲毛新聞を応援しようとか、サポートしてくれる人が出てきたときですね。
それと同時に、うちの会社を利用しようとする人も出てきました。
最近まではその裁判で苦労もしましてね。相手方が負けていったけどね。
渡部:
ぜひうちの地域でも新聞を作ってくださいと、依頼が来たりするのでは?
佐藤社長:
引き合いがあちこちから来るようになりましたね。中にはアメリカからも来ましたよ。
渡部:
そういったご苦労を全て乗り越えられて、今があるわけですね。
佐藤社長:
そうですね。
息子がいたんだよね。
そこに写真が飾ってあるけれども、
彼もソフト会社に勤めていて、
夜中遅くまで派遣の現場作業でした。夜遅くまで無理をして、うつになって、
それでも無理して仕事して、
で、死んじゃったんですけどね。
彼が忙しい中でも私を補佐してくれてね。僕は最初、パソコンなんて全然使えなかったし、
仕組みも分からなかった。新しい機械を入れても操作方法が分からない。
それを手伝ってくれたのが死んだ息子です。
稲毛新聞が成功したのは、息子の貢献が大きかったですよ。
渡部:
裁判など、逆境もあったわけですけど、
そういったものを乗り越えるときの座右の銘といいますか、
自分のモチベーションを上げるのに効果的な言葉など、ございますか?
佐藤社長:
座右の銘というよりも、とにかく働くしかないからね。
努力すればいつか報われるだろうということでね、信じてやりましたね。
もうそれだけですよ。
色々な経験をして、色々な能力を身につけて、
他の人が持っていないものを持つことができた。それが大きいですね。
渡部:
それだけでなく、多くの人に協力してもらえる、佐藤さんのお人柄もあったと思います。
佐藤社長:
もちろん自分は色々な人に、政治家から商店街のおばさんも含めて、
おかげさまでね、今がありますけどね。
まぁ、なんて言っても、、、〔奥さんを見ながら〕
影で支えてくれる人がいますからね。
渡部:
広告を出したいというニーズは、この地域でたくさんありますか?
佐藤社長:
ないですよ。全然ない。なぜかというと、
個人は店閉めて、よそのチェーンがどんどん入ってきてるから。
渡部:
そうですねえ。どうなんでしょう?本当は広告を出したいんだけれども、
お金がかかるから出せないのか、あるいはお金が問題ではないのでしょうか?
佐藤社長:
もうお金というか広告を出す余力がないね。出しても、それに見合う効果がわからない。
すぐに儲かればいいけど、意味がないんじゃないかと。
渡部:
なかなか、「この広告を出せばどれだけお客さんが増えます」とは言えませんもんね。
佐藤社長:
うん。
馬場:
実感として、稲毛の住民、あるいは個人でお店をやっておられる方々と接していて、
地元を盛り上げていこう、活性化していこうという雰囲気は感じられますか?
佐藤社長:
ないですよ。意欲がない。もうだめだーみたいな。
でも一生懸命がんばっているところはちゃんとやっているのよ。
もうこの辺の地元の店は何軒消えているの?もう10何軒は消えているかな。
どんどんチェーンにやられちゃうから。
地元の店がなくなっていくのは寂しいね。
大手(チェーン)は全然地元に協力しようとはしないから。
地元の小さなお店は全然だめなんですよ。郊外大型店ができると、
みんなそっちに行っちゃうから。
特に高齢者はなじみの店がなくなっちゃうから、
買い物に困ってしまうんですよ。
時代の流れとはいえ、政治が悪いですからね。
渡部:
私たちも地元稲毛の経済活性化と、人と人とのつながりを育むことを目標に、
「いどばた 稲毛♪」というサイトを運営しておりますが、難しさを実感しています。
何が難しいかと言うと、新しいことを始めること、つまり1つの目標に向かって皆で協力して、
できることからすぐ行動に移そうという体制を築くことが、です。
佐藤社長:
難しいよ。私も何とかして「いどばた 稲毛♪」を応援してあげたいと思うんだけど。
〔同じ想いを持つ方々をご紹介いただきました〕
渡部:
ありがとうございます。人が集まり協力することは、とても大きな力を生みます。
努力します。
佐藤社長:
そうそう、そうだね。ここは学園都市、若者の町なんですよ。
学校が一番多いんだから、この稲毛地区は。やっぱり学園都市のあり方、駅周辺の充実。
下北沢じゃないけどさあ、吉祥寺みたいな雰囲気のね。
稲毛にそういった町おこしをやっていったらいいんじゃないかな。
今はグローバル化して、地域が埋もれてしまっているんですね。
地域を活性化しないと。
全国的に言えることだけど、
そういうことを発信していくことが大事ですね。
渡部:
富山県のように、行政を挙げて町全体で街づくりに取り組んでいる地域もありますよね。
大学生も積極的に参加したりして。
佐藤社長:
そうだね。皆でね、分担を決めて、役所も協力して。
役所なんかは稲毛新聞をずいぶん参考にしてくれていてね、
うちで取り上げた要望をすぐに実行してくれているからね。それはありがたいね。
今月はホームレスの記事だけど、この前は幕張のマンションの問題だったり。
あれはうちが取り上げたから、日本テレビに取り上げられたんですよ。
地域のメディアも使いながらね、人が徐々に集まってくる感じになればいいね。
佐藤社長:
最近は代理店からの問合せが多くなって。
情報も、自分で歩かなくても入ってくる。「媒体資料をくれ」と皆言うもんだから、
会社のパンフレットを作ろうと思って。
渡部:
もう作り始められてるのですか?
佐藤社長:
まだ(笑)。代理店の依頼も多いし、もう何から何まで、人生相談まで来るからね。
時間がないのよ。そういう時間が増えて、仕事やる時間がけっこうつぶれちゃう。
渡部:
でもその分、相談に来られた方は佐藤さんに力をもらって帰られるのだと思いますよ。
佐藤社長:
いやいや、そんなことないですよ。
ただ相談する前の準備として、また相談を受けて行動が必要なときには、
その分野に関して勉強しなきゃならないのよ。それが大変ですよ。
行政だったり、裁判だったり。
渡部:
日々勉強されているのですね。大変ですけど、素敵ですね。
佐藤社長:
他に倫理法人委員会の役員もやっているので、何かと忙しいですよ。
渡部:
だいぶお忙しいようですが、睡眠はとられていますか?
佐藤社長:
県の広報誌の担当もしているわけ。5時起きだからね、はっはっは。
睡眠は5時起きだから6時間取れるときもあるけど、4時間とかね。
一番大事なのは健康ですよ。健康には気をつけてます。
特にこの水なんかね。これ僕とシバカレーの親父と共同開発した水なんですよ。
この水を去年ロッテの選手にプレゼントしてね。それで優勝したんだよーホント。(笑い)
〔佐藤社長自ら水を汲んでくださり、ごちそうになりました〕
渡部:
口に入ったときからもう普通の水と違いますね。なんて言うんだろう。体に良さそう(笑)
馬場:
すんなりと体に馴染む感じがしますね。
佐藤社長:
これ飲むと、パワーがアップするのよ。波動があるからね。
これを飲みながら仕事をすると疲れないね。
これは人工的に作った水でね、
普通の水では足りないものがいっぱいあるんだけど、それを人口的に補って。
奇跡の水とかいうけどね。
昨年、ロッテの松本応援団長が亡くなってね、
親しくしてたんだけど、優勝する前になくなってね、優勝する姿を見せてやりたかったね。
この3月に東京の椿山荘で「松本応援団長を偲ぶ会」に出席してきた。
これは奥様に僕が提案した企画なんだけど金田正一、八木沢・木樽投手、山崎選手など
球界関係者もたくさんきていたね。
実は、松本応援団長のことを記事にしたら、
それをインターネットで見つけた毎日新聞の記者が訪ねてきていろいろ聞くわけよ。
それでロッテが優勝した瞬間に松本団長の奥様の家に行き写真を撮り
翌日の毎日の3面に掲載されていた。
この水に興味のある方はこちら
→
http://www.chiba-shinbun.co.jp/bechip/
渡部:
今後の目標がございましたら教えて下さい。仕事の目標でも、ご自身の目標でも。
佐藤社長:
今、日本人が、モラルが欠如していますから、
全国に向けて、倫理運動を展開しようと思っています。
それで倫理法人委員会もやってるんだけど。
その新聞も作ろうかと。
夢だけどね。年だからさ(笑)。
新聞は新聞として、稲毛新聞は千葉市としてはふさわしくないのよね。
稲毛だけの地方紙だし。名前も10周年記念だし、変えようかとも思ってます。
まだ構想だけど。
やっぱり、世の中全体を良くしなきゃいけないからね。
〔稲毛新聞2006年4月号より〕