
1.山崎さんの経歴

渡部:
まず山崎さんが何をしている人なのか、読者の皆さんにお伝えしたいと思います。そこで、山崎さんの経歴を、簡単にお話していただけますか?
山崎さん:
はい。大学を卒業して看護師の国家資格を取ってから、もう3月のうちから研修が始まりまして、24歳で津田沼にある病院に勤めました。
渡部:
この病院の後、山崎さんは留学をされてますよね?留学をすることに決めたから、病院を退職されたのですか?
山崎さん:
いえ。この時はまだ考えていません。留学はこの後に出会った人の影響で、ですね。この病院を辞める頃は3年目で、3年目になると自分1人に対して新入社員が1人付いて、自分がリーダーになって色々なことを教えていく時期になります。この病院には、心拍や不整脈を診るモニターが4つあったのですが、5番目の患者さんが来たときに、誰かのモニターをはずして5番目の患者さんに付けなくては行けない状況になりまして、上の医師にも相談して決まったのですが、、はずしたら亡くなってしまったのです。
渡部:
そんなことがあったのですか。とてもつらいですね。
山崎さん:
はい。そのときに、人の生死に関わる仕事はつらいなと思って、辞める決心をしました。もう治らない・死ぬと自分で理解している患者さんたちと日常接していましたから、死には慣れているつもりでしたけど、やっぱりつらいですよね。
渡部:
私は経験したことがないのでわかりませんが、そういう死に直面する仕事に携わる中では、やっぱり楽しく仕事をするということは難しいのでしょうか?楽しいわけがないですよね?
山崎さん:
患者さんが回復していくのは、楽しいですよね。逆にこの仕事を嫌だなと思ったことはないですし、嫌だと思った患者さんも1人もいないです。職場や人間関係も、特に問題なかったですし、自分としてはこの仕事が好きでした。ただそういうことが起こって、もう看護師を辞めようと、思いましたね。
渡部:
回復してくれたら、とても嬉しいし楽しいでしょうね。ただ一度辞めようと決意されて、この後オーストラリアに留学してからも、ボランティアの形でまた医療に携わったのですね。
山崎さん:
そう結局ね、そうなってしまったのです。語学学校に通っていましたが、その友達から「小児科でボランティアをしないか」と誘われて、ボランティアならと思ったのです。
渡部:
では語学学校に通いながら、ボランティアをする生活だったのですね。大変ですね。
山崎さん:
そうね。そしてアルバイトもね。
渡部:
ええ、アルバイトもですか!すごいですね。
山崎さん:
やっぱり暇というか、時間を持て余すことができない性格なので、わりとアクティブに過ごしていましたね。
渡部:
その後のドイツ留学でも、同じような生活だったのですか?やっぱり語学学校に通って?
山崎さん:
そうですね。ただドイツでは働いていなくて、フルタイムで語学学校に通って勉強していました。
渡部:
じゃあ外国語を話せることも、今後何かに生かせそうですね。
山崎さん:
英語はまあ、多少話せますけど、ドイツ語は忘れてしまうので、日本に帰ってから公文に行きましたね。幼稚園や小学校の子と一緒になって、ドイツ語を勉強していました。
渡部:
ほんとに色々なことをやっているのですね(笑)。
山崎さん:
ふふ(笑) そうですね。
渡部:
留学を終えて、日本で知的障害施設に勤めるわけですね。知的障害施設というと、以前勤めていた病院と共通する要素があるように思えるのですが、なぜこれを選んだのでしょうか?
山崎さん:
直接生死に関わることはないということと、日本に帰ってきたら働かなくてはいけなかったので、看護師協会に紹介してもらって、働くことにしました。
渡部:
看護師協会というのは、仕事の紹介もしてくれるのですね。協会には、最初に資格を取った時に登録するのですか?
山崎さん:
そうです。皆が登録するわけではないですけど、大体の人が登録しますね。