渡部:
関東大震災の時、佐久間さんは生まれていましたっけ?
佐久間さん(旦那様):
そうそう、3歳の時だよ。階段の下に隠れて、地震が弱まった時に、広場にダーって逃げたんだ。階段は柱が4本あるから、階段の下が安全だと教わったんだ。
渡部:
鮮明な記憶ですね。3歳でも衝撃的なことだから、はっきり覚えているのでしょうね。
佐久間さん(旦那様):
はっきり覚えてるね。あの時は家の屋根も皆瓦だったから、屋根の斜面を瓦がサーって流れ落ちてくる。それと同時に、地面に割れた瓦が、屋根に向かって、サーっと積みあがっていく。これはすごいよ。
渡部:
佐久間さんが子供の頃は、今、当たり前にある物がほとんどない時代ですよね?便利な家電製品も、当然スーパーやコンビニも。どんな生活だったんでしょうか?
佐久間さん(奥様):
そうね、今あるものは昔はほとんどなかったですね。 昔はよく、納豆を売りに来たよねえ。見たことありません?
渡部:
僕が小さい頃は、石焼き芋の車くらいでした。声も既に録音テープでした。
佐久間さん(旦那様):
納豆はね、お茶碗持って行って、ごはんにかけてもらうんだよ。お酒もコップ持っていくと、おしゃくで入れてくれる。豆腐も売りに来たよ。あの頃は車なんてなかったからね。両側に入れ物がついたやつを肩にかついで、皆歩きだよ。
渡部:
そうか〜。車がないというだけで、想像するのが難しいですね。大変だったでしょうね。あ、車がないってことは、救急車は?自分で病院に行けない時はどうするんですか?
佐久間さん(旦那様):
救急車なんて、もちろんないよ(笑)。何とか病院にたどり着くしかない。皆でかついだりしてね。子供が生まれる時だって、近所でリヤカー借りて、そこに布団しいて、その上に寝かせて、お産婆さんのところまで運んだんだ。
渡部:
大変だ。想像しただけでも、昔の人はすごいなあ。僕なんて弱いなあ。
佐久間さん(奥様):
あの頃は電気も無かったから、街頭だってガス灯でした。戦争の頃は、夜は明かりが外に漏れないように、幕を張るから家の中は真っ暗。勉強もできないよ。
渡部:
そうか、電気もなかったのか。真っ暗じゃ、何もできないですよね。
佐久間さん(旦那様):
街頭はガスだから、1つ1つ手で火をつけていって、消す時も1つ1つ消していかなけりゃあならない。今みたいに、勝手に点いて消えてくれないからさ。
渡部:
うわ〜。今がどんなに便利か、今の便利さがなかったら、どういうことになるのか、初めて実感しました。不便でも、助け合いの精神で生きていくこと、尊いですね。
佐久間さん(奥様):
紙芝居もよく来たよねえ?見たことある?
渡部:
幼稚園や小学校で見たことはあるけど、家の近所で見たことはないですね。
佐久間さん(奥様):
「ゴールデンバット」とかね。大人気だったのよ。正義の味方のヒーローがいて、覆面をかぶってて。
佐久間さん(旦那様):
俺なんかガキ大将だったから、よく紙芝居のおじさんから、太鼓を借りてさ。ドンドンって叩きながら町を歩いていると、皆が後をついて来て、とても喜ばれたよ。広場に着くと、水飴とか駄菓子があって、皆それを食べながら紙芝居を見たんだ。
渡部:
お菓子食べながらだったんですね!それは楽しそう。いいな〜。
佐久間さん(旦那様):
音楽だって、そう。あの頃はレコードだって無いんだぞ。ヴァイオリン持って、歌を歌う人が来た。弾きながら歌ってさ。一曲いくらとかで。
渡部:
レコードも無いってことは、そっか!歌はその場で覚えるんですね?
佐久間さん(奥様):
そうそう。歌詞を書いた紙だけは、もらえてね。
佐久間さん(旦那様):
その場で一緒に歌って、覚えるんだ。歌詞はガリ版で印刷したやつね。
渡部:
今と違って、色んなイベントが身近にあったんですね。そこには必ず人と人とのふれあいがあって。いいなあ。
佐久間さん(奥様):
歌舞伎も楽しかった。あの頃は貧しかったけど、皆、一張羅を着て歌舞伎を見に行くの。銀座にね。歌舞伎も良かったけど、皆の服装も綺麗だった。
渡部:
一張羅ってなんでしょうか?
佐久間さん(奥様):
自分が持っている中で、一番良い服のこと。皆素敵だったわ。今みたいに、何か食べながら歩く人もいない。喫茶店に入って食べる。モラルがあったんだね。
渡部:
品があるのでしょうね。僕も身に付けたいです。とても惹かれます。
渡部:
今日は朝日新聞に、小学生の遺書が掲載されていましたが、悲しいことです。
佐久間さん(奥様):
ほんとに気の毒で気の毒で。私も読んでいて、涙が出てきちゃった。昔は、殺人も、自殺も、滅多に無かった。いじめは昔もあったけど、死に至るものは、ほんとになかったと思いますね。上履きの手提げを男の子に取られて、「返してよ」って言ったら、ぽーんと投げられたとかね、その程度。どうして今の親は、自分の子に気がついてあげられないんだろう。どうして今の子は陰険ないじめをするんだろう。悲しいです。
渡部:
昔のいじめは、後を引かないものだったんですね。人間、仲間はずれになって、孤立してしまったら、精神的に耐えられる訳がない、本当に辛いと思います。お金や物を盗られたり、他校の生徒とけんかになったり、そんなことはありましたか?
佐久間さん(旦那様):
悪(わる)はいたけど、そういう悪はいなかったね。正義感のある悪だよ。お金を取るなんていうのもない。ただ友達がやられた時は、助けに行ったり、殴り返してやったりはしたけどね。ただ大勢ではいかないよ。俺一人で、だよ。
佐久間さん(奥様):
私たちの時代は、戦争があったし、「その日、食べるものをどうするか」、必死だった時代。「自殺なんて親に申し訳ない」という気持ちも強かったし。それに、食べること、戦争からは、嫌でも逃げ出せない。だから死ぬ気で苦境を乗り越える訓練が、できていたのかもしれないね。孫や子供にも、「そんなことで落ち込んでどうするの?」って、私が激励してるのよ。
渡部:
いどばた稲毛♪でもよく話題に出ますが、定職に就けない若者たち。佐久間さんから見て、どう映りますか?
佐久間さん(奥様):
「本当に好きな仕事が見つかってから、職業を選んで働く」ことができる人は稀だと思う。最初は好きではなくても、「死ぬ気で」やっていくうちに、自分に合うとか、もっとこういうのがやりたいとわかってくるものだし、死ぬ気で頑張るからこそ、成功するはず。今は豊か過ぎるからなのかもしれないけど、「まずやってみることで、だんだん良くなっていく」ことを、わかって欲しいなと思います。
渡部:
やっていくうちに、やりたいことも変わりますよね。でもそれは、やってみたからこそわかって、発想できたこと。それに後から振り返って、「手段が変わっただけで、実現したいことはあの時と一緒なんだな」と、自分を改めて知ることも、ありますね。
佐久間さん(奥様):
何のとりえが無くたって、普通の平凡な人生の中で、頑張ればいい。元気があるというだけで、その人の特徴になるのだから。元気よく、頑張りましょう!
佐久間さん(奥様):
昔は戸籍にも、「平民だれだれ」と、名前の前に身分が付いていたよ。
佐久間さん(旦那様):
知り合いに薬剤師さんがいるけどね、免許にまで「士族だれだれ」と身分が書いてあったんだ。今はもう書いてないけどね。
渡部:
士農工商の身分ですね。
佐久間さん(奥様):
そうそう、士が一番偉くてね。
渡部:
昔は、小学校、中学校、高校、大学という形態ではなかったんですよね?
佐久間さん(奥様):
昔は小学校が6年あって、その後は今の中学と高校が一緒になったような、女学校がありました。その後が、専門学校・短大・大学。
渡部:
女学校ということは、男女共学というものが、なかったのですか?
佐久間さん(奥様):
基本的にはなかったのよ。
渡部:
へえ〜。それは知らなかったです。
佐久間さん(奥様):
男はお国のために、兵隊や軍人になる教育を受けて、女は内助の功というか、男性を支えたり、内地を守るような教育を受けて、役割がはっきりと分かれていたから。当時は女子も、「なぎなた」か「弓」を選択する授業があって、天皇のために死ぬことに何の疑いもなかった時代。だからこそ、「教育って怖いな」と、今は思います。
渡部:
女性もお国のために戦うなんて。たしかに、教育にはそういう怖さもありますね。そうすると、男女でお話する機会もほとんどなかったのでは?
佐久間さん(奥様):
全くなかったですね。それに、異性を余り意識させないというか、戦争に興味を湧かせるような教育を、小さいうちから受けてきたからね。あの頃は、指輪でも何でも、言われれば国に差し出して、修学旅行もなかったし、夫は徴兵でとられて5年間も会えなかったし、服装だってもんぺだった。青春時代なんてなかったね。
渡部:
それでは、そういう時代を過ごされた佐久間さんから見たら、今の時代は「非常識」だらけじゃないですか?(笑)
佐久間さん(奥様):
ふふふ。そうね、色んなことでびっくりすることはありますね。
渡部:
今は社会問題も複雑化しているような気がしますが、「昔の日本の良さを支えていたもの」を1つ挙げるとしたら、何がありますか?
佐久間さん(奥様):
あの頃は、学校の先生が本当に良い人ばかりだったね。生徒も親も、先生を尊敬していた。授業中、女の子同士でおしゃべりしてたりすると、先生がキッて振り向いて、チョークが飛んできたり、廊下に立たされたりしたことはあったけど。
渡部:
怒られても、「自分が悪かった」って、納得できるんですね。
佐久間さん(奥様):
納得というか、反省したの。だから恨むこともなかったし、親が学校に怒鳴り込むこともなかった。親も、「うちの子に限ってそんなことはありません」なんて言わない。「悪いことしたらちゃんと怒ってください」と言うのが、当たり前だった。
渡部:
学校での教育は先生に任せ、先生もそれに心で応える。すごい信頼関係ですね。
佐久間さん(奥様):
そう。「大切なお子さんを任せていただいたのだから、一生懸命教えよう」という熱意が、子供にも親にも伝わってきてね。受験の時も、塾なんてなかったけど、生徒の家の部屋を借りて、先生がずっと勉強を教えてくれた。
渡部:
学校で授業をした後に、子供のために、ですよね?
佐久間さん(奥様):
そうそう。いくらかお礼をした親もいるとは思うけど、基本的にはボランティアで。「今日は何番から何番までの子」と皆を交代で教えてくれて、学力に関係なく、一生懸命教えてくれて、生徒1人1人のことを、本当によく気遣ってくれた。
佐久間さん(旦那様):
卒業してから、先生に偶然会ったときも、遠くから、「おい、佐久間じゃねえか?」って、先生が飛んできてくれたんだよ。「ちゃんと覚えててくれたんだな」って、感動したよ。どの先生も怖かったけどな、ほんとに皆良い先生だった。
渡部:
威厳を保ちつつ、優しいんですね。そんな素敵な先生方がたくさん身近にいたら、いじめや事件も自然と減るのでしょうね。今は先生方も苦労が尽きないそうですが。
佐久間さん(奥様):
先生を職業として捉えているのかもしれない。先生が、というよりも、世の中が。昔の先生は、プラスアルファがあった。「わかんないことがあったら、教えてやるぞ」という、「ほんとに先生らしい先生」が多かった。
佐久間さん(旦那様):
昔は、生徒が良い学校に進んだら、先生の手柄になるなんてことも、なかったよ。できの悪い生徒ほど、一生懸命教えたね。
渡部:
職業じゃないってことは、もう先生自身の気持ち、信念なんでしょうね。心から生徒のためになりたいっていう強い気持ち。「ほんとの先生」ですね。
佐久間さん(奥様):
「自分は指導者なんだから、少しでも生徒のプラスになるように」という自覚が、ものすごく強いんでしょうね。「この子には、こういう風にしてあげよう」とか、そういう気持ちが年中、いつも心にあって。もうこれは愛情なんだろうね。
渡部:
これなら、生徒も慕いますよね。
佐久間さん(奥様):
だからずっとクラス会、あったもの。少しぐらい遠くても、皆来たもんね。先生も遠いのに来てくれて、全員にお土産を持ってきてくれたりして。
渡部:
戦争の時の状況を教えてください。街の様子とか。
佐久間さん(奥様):
兵隊さんを取り締まる憲兵さんが、馬で街の中を巡回していました。
渡部:
へえ〜。馬なんですか?すごいなあ。
佐久間さん(旦那様):
小学校3年生くらいの時だったな。満州事変は。
渡部:
そういう戦争中でも、小学校は普通に通えたんですか?
佐久間さん(奥様):
国は戦争してたけど、学校は普通に通えたよ。
渡部:
じゃあその頃は、どこの家も、お父さんは戦争に行っちゃって、いないんですか?
佐久間さん(奥様):
兵隊行っちゃってる人もいたし、残っている人もいたね。
佐久間さん(旦那様):
私なんかは、昭和16年から終戦まで、ずっと戦争に行っていたけど。
佐久間さん(奥様):
上海に行っていたでしょ。お父さんは職業軍人ではないけど、招集で。
渡部:
あ〜、兵隊さんと職業軍人さんと、違うんですね。
佐久間さん(旦那様):
職業軍人というのは、士官学校を出て、将校になった人で、我々兵隊なんかは、赤紙1つで持っていかれちゃうんだから。
渡部:
ああ、普段は別の職業があるけど、赤紙で召集された人が、兵隊さんですね。
佐久間さん(旦那様):
くすんだ赤い色をしていてね。赤紙と言うの。[ピンクのクリアーファイルを指して]これよりもっと、汚い色ね。
渡部:
赤紙には何か字も書いてあるんですか?見たことないものですから。
佐久間さん(旦那様):
書いてあるよ。「どこどこの隊に入れ」という、命令が書いてあるんだ。
渡部:
赤紙が届いてから入隊までには、どんなことをするのですか?
佐久間さん(旦那様):
お赤飯を炊いて、お祝いしてもらうんだ。そして街頭でね、「お願いしまーす」と、1千人の女の人にお願いして、腹巻に一針ずつ縫ってもらうんだ。「敵の弾に当らないように」と祈りを込めてもらってね。激励の旗ももらったな。そして、家族や近所の人と集合写真を撮って、送り出してもらうんだ。
渡部:
そうか・・・。お祝い事なんですね。佐久間さんも、ご家族も、笑顔で別れなきゃいけないのか。悲しいですね。
佐久間さん(旦那様):
「天皇陛下に召集していただいた」のだから、お祝い事なんだよ。それで、遠くの県に入隊したのに、そこには1日しか、いなかった。
渡部:
それで次はどこまで連れて行かれたんですか?
佐久間さん(旦那様):
万里の長城に乗って、あれは怖かったねえ。あそこ通過する時はもう、ほんとに怖かった。出たらもう、すぐやられちゃうからね。
佐久間さん(奥様):
でさ、夏服で行ったんだって、ね?
渡部:
え。寒くないんですか?
佐久間さん(奥様):
ほら、南方に行くと見せかけて。
渡部:
ああ〜。欺くために、ですね。
佐久間さん(旦那様):
そうそう、いや〜内地にいるときは給与がいいんだよ。
渡部:
給料ですか?
佐久間さん(旦那様):
いやいや、給与って言うのはねえ、食べ物。弁当がねえ、3重の弁当なんだよ。
渡部:
へえ〜。3重は豪華ですね。
佐久間さん(旦那様):
それで内地を渡って、今度釜山に行って、釜山で待っているのが、貨車だよ。
佐久間さん(奥様):
貨車って馬を運んだりする汽車で、だから人間が乗るものではないから、当然冷暖房の設備も無いのよ。
佐久間さん(旦那様):
その貨車に突っ込まれてさあ、それからの給与は、ひどかったよ。
渡部:
おなかいっぱい食べられないんですか?
佐久間さん(旦那様):
もうねえ、ししゃもを煮たようなもんに、おじやみたいなのがあるだけ。それに客車じゃないから、寒くてね、駅に何々駅っていう標識があるでしょう?あれを引っこ抜いて来て、燃やすんだ。南京に着いた頃には、もう皆すすで顔が真っ黒だよ。
渡部:
へえ〜。貨車の中で燃やすんですね。でも凍え死ぬわけには、いかないですもんね。
佐久間さん(旦那様):
そうそう、それでねえ、今度は上海に行くというから、「やったー!海を渡って、日本に帰れるんだ」と思ったよ。そしたら、とんでもない。古い兵隊さんが迎えてくれてね、それからは毎日、びんた、びんた、だよ。
佐久間さん(奥様):
1人が何かすると、連帯責任なのよ。全員が悪いってことになるから。
渡部:
ああ〜。
佐久間さん(旦那様):
[座っているところから、ドアまで指差して]ここからねえ、ドアまで、ドーンって、ふっとんで行っちゃうんだから。
渡部:
ええ〜。
佐久間さん(旦那様):
そうだよ。日本の軍隊はすごかったんだから。
渡部:
やっぱり悪いことをしたから、殴られるんですか?理由があって?
佐久間さん(旦那様):
や〜、悪いことなんだけど、くだらないこと、小さなことだよ。でもね、軍人精神を植えつけるには必要なんだよ。皆、言いたいこと言い出すからね。
渡部:
なるほど。
佐久間さん(奥様):
靴の裏に針が付いてるでしょ?あれに土が付いていただけで、もう大変なんだって。
佐久間さん(旦那様):
従軍した後ね、今度は点呼まで、そういう手入れだよ。一生懸命やったよ。でもきちんと手入れしておかないと、戦った時に、自分がやられちゃうからね。
佐久間さん(奥様):
入浴だって、今みたいに、のこのこ湯船に浸かってられないのよ。
佐久間さん(旦那様):
色々な手入れで時間がない。でも入らないとまた怒られるからさ。
渡部:
へえ、入らなくても怒られるんですか。
佐久間さん(旦那様):
だから洗面所で手ぬぐい濡らして、顔だけ拭いて、「入りました!」って。そうすると手ぬぐいが濡れてるもんだから、「良し!」となるんだ(笑)。それが終ると今度は夜の教育。
渡部:
え?夜も、ですか。
佐久間さん(旦那様):
そうそう。その後にも、不寝番がある。寝ないで立ってりゃ良いんだけど、ちょうど中間ぐらいの番だと一番つらい。もう体が暖まっちゃってるからさ。
渡部:
あ、一応起してはもらえるんですか?
佐久間さん(奥様):
前の人がね、起してくれるんだよ。
渡部:
ああ、そうか。そうですよね。
渡部:
ところで、自由な時間はどれくらいあるんですか?
佐久間さん(旦那様):
ない。兵隊なんか、絶対にない。
佐久間さん(奥様):
だから夜寝るときだけ、少しだけ休まるんだって。
渡部:
今の人は真似できないですよね?驚いた。
佐久間さん(旦那様):
できないって言ったって、入っちゃったら皆やるよ。
渡部:
兵隊に行っちゃうと、家族と自由に手紙のやりとりもできないんですよね?
佐久間さん(旦那様):
ぜんぜん出来ない。検閲されるからね。
渡部:
ああ、中見られちゃうんですね。
佐久間さん(旦那様):
検閲されますよ。そりゃあ。別の機関にだけど。私の友達は、上海にいることがわかるような歌の歌詞を書いて、それだけで捕まっちゃった。
渡部:
それは罪になるんですよね?
佐久間さん(奥様):
「日本の陸軍のどの部隊が上海にいる」と、敵に知られちゃうからね。
渡部:
でも、敵に知られないようにするために、検閲でチェックしているのに、書いた時点でもう、罰せられちゃうんですか。厳しいですね。
佐久間さん(旦那様):
そうそうそう。もう昇級止まっちゃいますね。永久に。
渡部:
永久に・・・。1度の失敗も許されないんですね。
佐久間さん(旦那様):
その友達は、我々が昇級しても、ずっと星1つのまま。でも、そういうのが猛者なんだよ。我々と楽しそうに話してるのを他の人が見ると、「あいつ、何者なんだ?」ってなる。何かあったら、我々がバックについているようなもんだからさ。
渡部:
ああ〜。そういうことが起こるのか。
佐久間さん(旦那様):
そいつの上官がさ、星1つしかないと思って、そいつと話してる時に、我々がさ、「こいつ、お前より先輩だ」と言うと、「失礼しました!」になるわけ(笑)。
渡部:
へえ、上官が「失礼しました」と言うんですか。
佐久間さん(旦那様):
そうそう、年功序列だからね。
渡部:
あはは。そうか、階級が一番低くても、無下に扱われないんですね。そういう所は温かいですね。
佐久間さん(旦那様):
もちろん正式な時は、階級で行くけどね。普段はね。
佐久間さん(奥様):
そうだね、そういう温かさもあったんだね。
佐久間さん(旦那様):
少年兵がいたんだけどね、18歳でもう結婚していると言うから、「ずいぶん早くから結婚して、早熟だな〜」と思っていたら、実は違うんだ。実家が農家でね、自分が兵隊に行くと、農業やる人がいなくなってしまうんだ。だから農業を続けるために、早めにお嫁さんをもらって、労働力になってもらうんだよ。
渡部:
そうか、もし結婚していなかったら、誰も農業をやる人がいない状況なんですね。
佐久間さん(奥様):
そうそうそう。残るのは老人ばっかりになっちゃうからね。
( ↑上は、戦友名簿。 これも栄さんが書いたという。 今では皆住所も変わっていて、 連絡は取れない。 ←左は戦友名簿のカバー。 下に描かれた絵から、 当時の服装もわかる。) |
佐久間さん(旦那様):
新しく入ってくる兵隊さんの格好がね。格好は兵隊さんなんだけど、兵器がひどかった。通称「ごぼう(野菜のごぼうのこと)剣」と言ってね、銃の先に付けて戦うこともできる短剣なんだけど、格好だけで全然切れない剣を持って来た。その鞘も、私の頃は金属だったのに、木の鞘なんだ。あんなの歩腹前進したら、すぐだめになっちゃうよ。
渡部:
削れてきちゃいますよね。
佐久間さん(奥様):
物資も無くなってきていたのでしょうね。
佐久間さん(旦那様):
飯盒も水筒も、ただの竹筒に変わっていた。軍服のボタンだって、金属から木に変わった。だからね、兵隊さんが新しく入ってくるたびに、「今度はどんな格好で来るかな」って気にしてたよ。
渡部:
あ、「どんどん悪くなっているんじゃないか」という心配で、ですね。
佐久間さん(旦那様):
そう。他にも、日本が不利だとわかってしまうようなことが、たくさんあった。兵隊検査で、甲種合格、乙種合格、丙種合格、と3段階あって、最初は身長もあって体格も良い甲種だけが兵隊に行った。乙種はその予備軍だった。丙種は身長が低くて小柄な人。私は丙種だったけど、「ついに丙種まで戦わなければならないほど、甲種・乙種が減ってきたのか」とね。だから「あ、こりゃあ負けるな」って、わかったよね。もちろん、心の中でね。
渡部:
そうか、それがわかってしまうのも、辛いですね。
佐久間さん(旦那様):
生き残ったって、負けたら捕虜になっちゃうからね。
渡部:
玉音放送の時、どんな心境でしたか?
佐久間さん(旦那様):
「天皇陛下に申し訳ない」と言って、その場で口に銃をくわえて、自殺した人もたくさんいたよ。千人の女子が、「敵の弾に当りませんように」と祈りを込めて、一針ずつ縫ってくれた腹巻や軍旗を、「敵に踏みにじられたくない」と、燃やしたりもした。 ただ正直な気持ち、「やっぱり家族の下に帰りたい」という気持ちもあったよ。ずっと天皇陛下は「現人神」だったし、声なんて聞いたこともなかったから、玉音放送で初めて声を聞いたときは、複雑な気持ちだったなあ。
渡部:
その時のショック、なんとなく想像できます。わかるような気がします。
佐久間さん(奥様):
お父さんは終戦を向こうで迎えて、「日本に帰っても、家族も死んじゃって、誰もいないかもしれない」と思って、帰らなかった人も多かったみたいよ。
佐久間さん(旦那様):
中国の捕虜になって、こき使われるんだよ。
渡部:
そういう人たちは、あえて、捕虜を選んだということなんですね。
佐久間さん(旦那様):
そうそう、帰るか、捕虜になるか。ただ当時捕虜の他に、兵隊のお迎えもあってね、それは勤めるんだけど、「何人兵隊を連れてきたか」によって、待遇が違うんだよ。私は、日本人学校を経営していた少年兵の父親に、「日本に帰った方がいいよ」と言われて、日本に帰ることにしたんだ。
渡部:
日本の本土がどれくらいやられているか、という情報はもう聞いていたんですか?
佐久間さん(旦那様):
そう、聞いていたから、もう家族は居ないんじゃないかと思ってね。 ただその父親は、やっぱり日本人学校やっていたから、これから中国で戦いが始まることや、「訓練された日本兵を雇っておいて、いずれ前線で使おう」という思惑もわかっていたんだろうね。
渡部:
日本に帰るか、帰らないか。家族が生きている可能性が少しでもあれば、僕なら帰るかな。全然状況を知らないのに、こんなこと言ってはいけないかもしれないけど。
佐久間さん(旦那様):
日本の兵隊は優秀で、少佐ぐらいの良い階級で迎えられたんだ。だから、「焼け野原で家族も居ない日本に帰るよりは、こちらで少しでも良い生活ができるなら」と、中国に残った人もいたんだよ。
渡部:
終戦になっても、辛い選択ですね。中国に残った人だって、日本に帰っていたら全く別の人生があったかもしれない。もしかしたら、家族が生きていてくれて。それを考えると、悲しいな。でも、佐久間さんは、ほんとに帰ってきて良かったですね。今もこうして奥さんと仲良く、一緒に元気に過ごせている。
佐久間さん(旦那様):
そうだねえ。
佐久間さん(奥様):
ほんと、そうだねえ。幸せだと思うね。
渡部:
さて、今はサクマ不動産さんですね!もう何年になりますか?
佐久間さん(旦那様):
[壁に飾ってある額を指して]「十二」と書いてあるだろう。最初は3年毎に更新だった。それが今は5年毎になって、だからどれくらいかな。
佐久間さん(奥様):
5年毎の更新は確か2回だったわね。
渡部:
じゃあもう40年になるんですね。
佐久間さん(旦那様):
40年もやっているのは、若木不動産さんとうちくらいのもんだよ。
渡部:
40年かあ。すごいですね。40年やってきた、このお仕事。やりがいや、やっていて感じていることを、教えてください。
佐久間さん(奥様):
そうね。夫婦だからこそ、あうんの呼吸で、自分達の儲けよりも、お客様に喜んでもらうことを生きがいに、やってきました。私たちも、お客さんから、「心の儲け」をもらっています。だから幸せです。不動産屋を通じて、若い人や、色んな人のお話を聞くことができて、今の時代の感覚や考え方を、勉強させてもらえる。それが、とても楽しいですね。
渡部:
お客さんに喜んでもらうことを生きがいに、一生懸命努力して、お客さんから「心の儲け」をいただいている・・・か。僕が初めて佐久間さんにお会いした時も、この言葉を教えてもらったなあ。とても良い言葉ですね。心に響きます。
佐久間さん(奥様):
うん。
渡部:
佐久間さんと、いつも色々なお話ができて、とても嬉しいです。僕が生まれていない頃のお話に、とても驚いたり、感動して帰ることも多くて、だからたくさんの人に伝えたいと思います。これからも、お邪魔させてくださいね。
佐久間さん(奥様):
いえいえ、また来てくださいね。
佐久間さん(旦那様):
それじゃあ、また!
渡部:
ありがとうございました。